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了凡四訓 / 積善之方・正中の偏、偏中の正

又有以惡心而行善事者。如某家大富,值歲荒,窮民白晝搶粟於市;告之縣,縣不理,窮民愈肆,遂私執而困辱之,眾始定;不然,幾亂矣。故善者為正,惡者為偏,人皆知之;其以善心而行惡事者,正中偏也;以惡心而行善事者,偏中正也;不可不知也。 何謂半滿?易曰:善不積,不足以成名,惡不積,不足以滅身。書曰:商罪貫盈,如貯物於器。勤而積之,則滿;懈而不積,則不滿。此一說也。

新字:又有以悪心而行善事者。如某家大富,値歳荒,窮民白昼搶粟於市;告之県,県不理,窮民愈肆,遂私執而困辱之,衆始定;不然,幾乱矣。故善者為正,悪者為偏,人皆知之;其以善心而行悪事者,正中偏也;以悪心而行善事者,偏中正也;不可不知也。 何謂半満?易曰:善不積,不足以成名,悪不積,不足以滅身。書曰:商罪貫盈,如貯物於器。勤而積之,則満;懈而不積,則不満。此一説也。

書き下し

又た惡心を以て善事を行ふ者有り。某家の大いに富めるが如き、歲の荒るるに值ひ、窮民白晝に粟を市に搶む。之を縣に告ぐるも、縣理めず、窮民愈々肆にす。遂に私かに執へて之を困辱し、眾始めて定まる。然らずんば、幾ど亂れんとす。故に善なる者を正と為し、惡なる者を偏と為すは、人皆な之を知る。其の善心を以て惡事を行ふ者は、正中の偏なり。惡心を以て善事を行ふ者は、偏中の正なり。知らざるべからざるなり。 何をか半滿と謂ふ。易に曰く、善積まざれば、以て名を成すに足らず。惡積まざれば、以て身を滅すに足らず、と。書に曰く、商の罪貫盈す、と。物を器に貯ふるが如し。勤めて之を積めば、則ち滿つ。懈りて積まざれば、則ち滿たず。此れ一說なり。

現代語訳

また逆に、悪い心で善いことを行った例もあります。ある大富豪の家が、凶作の年にあたり、困窮した民が真っ昼間に市場で穀物を奪い取りました。県に訴えましたが、県は取り合わず、民はますます勝手をしました。そこで家の者が自分たちで捕らえて痛めつけたところ、人々はようやく静まりました。そうしなければ、ほとんど暴動になるところでした。善を正とし、悪を偏とすることは誰もが知っています。善い心で悪いことを行うのは、正の中の偏です。悪い心で善いことを行うのは、偏の中の正です。これを知らなければなりません。 半と満とは何でしょうか。『易経』に「善も積み重ねなければ名を成すには足りず、悪も積み重ねなければ身を滅ぼすには足りない」とあります。『書経』に「殷(商)の罪は満ちあふれた」とあります。器に物をためるようなものです。勤めて積めば満ち、怠って積まなければ満ちません。これが一つの説です。

解説

前の単位と対になり、悪い心で行ったことが結果として善になる例が示されます。凶作の年、役所が取り締まらない略奪に対し、富家が私的に民を捕らえて懲らしめたことで、かえって暴動が防がれました。動機は自分の財を守るためでも、結果は町の秩序を保ったのです。了凡はこれを「偏中の正」と呼び、動機と結果を分けて見る目を求めます。私刑を勧めているのではなく、善悪は心と結果の両面から見なければ分からないという指摘です。後半から「半と満」に移り、『易経』と『書経』を引いて、善も悪も積み重ねてはじめて満ちると説きます。日々の小さな積み重ねが器を満たすかどうかを決める、という話につながります。

この章句が説くこと

偏正動機結果積善半満

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