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了凡四訓 / 積善之方・現行を論ぜずして流弊を論ず

子路拯人於溺,其人謝之以牛,子路受之。孔子喜曰:自今魯國多拯人於溺矣。自俗眼觀之,子貢不受金為優,子路之受牛為劣;孔子則取由而黜賜焉。乃知人之為善,不論現行而論流弊;不論一時而論久遠;不論一身而論天下。現行雖善,而其流足以害人;則似善而實非也;現行雖不善,而其流足以濟人,則非善而實是也;然此就一節論之耳。他如非義之義,非禮之禮,非信之信,非慈之慈,皆當抉擇。

新字:子路拯人於溺,其人謝之以牛,子路受之。孔子喜曰:自今魯国多拯人於溺矣。自俗眼観之,子貢不受金為優,子路之受牛為劣;孔子則取由而黜賜焉。乃知人之為善,不論現行而論流弊;不論一時而論久遠;不論一身而論天下。現行雖善,而其流足以害人;則似善而実非也;現行雖不善,而其流足以済人,則非善而実是也;然此就一節論之耳。他如非義之義,非礼之礼,非信之信,非慈之慈,皆当抉択。

書き下し

子路人を溺るるより拯ふ。其の人之に謝するに牛を以てし、子路之を受く。孔子喜びて曰く、今より魯國に多く人を溺るるより拯はん、と。俗眼より之を觀れば、子貢の金を受けざるを優と為し、子路の牛を受くるを劣と為す。孔子は則ち由を取りて賜を黜く。乃ち知る、人の善を為すは、現行を論ぜずして流弊を論じ、一時を論ぜずして久遠を論じ、一身を論ぜずして天下を論ず。現行善なりと雖も、其の流れ以て人を害するに足らば、則ち善に似て實は非なり。現行善ならずと雖も、其の流れ以て人を濟ふに足らば、則ち善に非ずして實は是なり。然れども此れ一節に就きて之を論ずるのみ。他の非義の義、非禮の禮、非信の信、非慈の慈の如きは、皆な當に抉擇すべし。

現代語訳

子路は溺れている人を救いました。その人がお礼に牛を贈ると、子路は受け取りました。孔子は喜んで「これから魯の国では、溺れる人を救う者が多くなるだろう」と言いました。世俗の目から見れば、子貢が代金を受け取らなかったのが優れていて、子路が牛を受け取ったのは劣っているように見えます。ところが孔子は由(子路)を認め、賜(子貢)を退けました。ここから分かるのは、人が善を行うときには、目の前の行いではなく、それが後に及ぼす影響で論じ、一時のことではなく長い先のことで論じ、自分一身のことではなく天下のことで論じる、ということです。目の前の行いは善くても、その影響が人を害するほどであれば、善に似ていて実は非です。目の前の行いは善くなくても、その影響が人を救うほどであれば、善でないようで実は是です。ただし、これは一つの局面について論じたにすぎません。そのほか、義でない義、礼でない礼、信でない信、慈でない慈といったものも、みなよく選び分けなければなりません。

解説

前の子貢の話と対になる子路の話です。溺れた人を救って礼の牛を受け取った子路を、孔子は喜びました。受け取ってよいと皆が知れば、人助けをする者が増えるからです。了凡はここから、善は目の前の行いではなく、その後の影響で、一時でなく長い目で、一身でなく天下の広がりで測れ、という物差しを引き出します。見た目に立派な行いが悪い前例を作ることもあり、見た目に欲深い行いが良い循環を生むこともあります。報酬を受け取ることを遠慮しすぎる職場では、手を挙げる人が減っていきます。自分の行いが前例としてどう働くかまで考えることが、是非を見分けることだと言えるでしょう。

この章句が説くこと

是非流弊積善前例久遠

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