孔子家語 / 致思
魯國之法,贖人臣妾於諸侯者,皆取金於府。子貢贖之,辭而不取金。孔子聞之曰:「賜失之矣。夫聖人之舉事也,可以移風易俗,而教導可以施之於百姓,非獨適身之行也。今魯國富者寡而貧者眾,贖人受金則為不廉,則何以相贖乎?自今以後,魯人不復贖人於諸侯。」
新字:魯国之法,贖人臣妾於諸侯者,皆取金於府。子貢贖之,辞而不取金。孔子聞之曰:「賜失之矣。夫聖人之舉事也,可以移風易俗,而教導可以施之於百姓,非独適身之行也。今魯国富者寡而貧者衆,贖人受金則為不廉,則何以相贖乎?自今以後,魯人不復贖人於諸侯。」
書き下し
魯国の法、人の臣妾を諸侯に贖う者は、皆金を府より取る。子貢之を贖い、辞して金を取らず。 孔子之を聞きて曰わく、「賜之を失えり。夫れ聖人の事を挙ぐるや、以て風を移し俗を易う可く、教導以て百姓に施す可し、独り身に適するの行いのみに非ざるなり。今魯国富む者は寡くして貧しき者は衆し、人を贖いて金を受くれば則ち不廉と為さば、則ち何を以て相い贖わんや。今より以後、魯人復た人を諸侯に贖わじ。」
現代語訳
魯国の法律では、他国で捕らわれ召使いにされている魯の人を身請けした者には、国庫から代金が支払われることになっていた。子貢が人を身請けしたが、それを辞退して国庫の代金を受け取らなかった。 孔子はこれを聞いて言った。「賜(子貢)はやり方を誤った。そもそも聖人が事をなすときは、それによって風俗を移し変え、その教えや導きが民衆全体に行き渡るようにするものであって、自分一人の身に見合った行いだけを考えるものではない。今、魯国では豊かな者は少なく貧しい者が多い。人を身請けして代金を受け取ることを潔癖でないこととしてしまえば、これから先、人々はどうやって身請けを行おうとするだろうか。今より後、魯の人々はもう他国で捕らわれた人を身請けしなくなるだろう。」
解説

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