了凡四訓 / 積善之方・支聽かず、卒に為に力を盡くす
嘉善支立之父,為刑房吏,有囚無辜陷重辟,意哀之,欲求其生。囚語其妻曰:支公嘉意,愧無以報,明日延之下鄉,汝以身事之,彼或肯用意,則我可生也。其妻泣而聽命。及至,妻自出勸酒,具告以夫意。支不聽,卒為盡力平反之。囚出獄,夫妻登門叩謝曰:公如此厚德,晚世所稀,今無子,吾有弱女,送為箕帚妾,此則禮之可通者。支為備禮而納之,生立,弱冠中魁,官至翰林孔目,立生高,高生祿,皆貢為學博。祿生大綸,登第。
新字:嘉善支立之父,為刑房吏,有囚無辜陥重辟,意哀之,欲求其生。囚語其妻曰:支公嘉意,愧無以報,明日延之下郷,汝以身事之,彼或肯用意,則我可生也。其妻泣而聴命。及至,妻自出勧酒,具告以夫意。支不聴,卒為尽力平反之。囚出獄,夫妻登門叩謝曰:公如此厚徳,晩世所稀,今無子,吾有弱女,送為箕帚妾,此則礼之可通者。支為備礼而納之,生立,弱冠中魁,官至翰林孔目,立生高,高生禄,皆貢為学博。禄生大綸,登第。
書き下し
嘉善の支立の父、刑房の吏為り。囚の無辜にして重辟に陷る有り、意之を哀れみ、其の生を求めんと欲す。囚其の妻に語りて曰く、支公の嘉意、以て報ゆる無きを愧づ。明日之を延きて鄉に下らしめ、汝身を以て之に事へよ。彼或いは肯へて意を用ゐば、則ち我生くべきなり、と。其の妻泣きて命を聽く。至るに及び、妻自ら出でて酒を勸め、具さに告ぐるに夫の意を以てす。支聽かず、卒に為に力を盡くして之を平反す。囚獄を出で、夫妻門に登りて叩謝して曰く、公の此くの如き厚德は、晚世の稀なる所なり。今子無し、吾に弱女有り、送りて箕帚の妾と為さん。此れ則ち禮の通ずべき者なり、と。支為に禮を備へて之を納る。立を生み、弱冠にして魁に中り、官は翰林の孔目に至る。立は高を生み、高は祿を生み、皆な貢せられて學博と為る。祿は大綸を生み、第に登る。
現代語訳
嘉善の支立の父は、刑事を扱う部署の役人でした。無実なのに死罪に問われた囚人がいて、支の父は心から哀れみ、何とか命を救いたいと思いました。囚人は妻に言いました。「支さまのご厚意に、報いるすべがないのが恥ずかしい。明日、支さまを村へお招きし、お前の身をもってお仕えしなさい。そうすれば、あの方は力を尽くしてくれるかもしれない。そうなれば私は助かる」。妻は泣きながら言いつけに従いました。支の父がやって来ると、妻が自ら出て酒を勧め、夫の考えを詳しく伝えました。支の父はそれを受け入れず、最後まで力を尽くして冤罪を晴らしました。囚人が獄を出ると、夫婦そろって門を訪ね、額をついて礼を述べました。「あなたのような厚い徳は、この末の世では稀なものです。今あなたにはお子がありません。私たちには幼い娘がいますので、お側の妾として差し上げたい。これなら礼にかなうことです」。支の父は礼を整えて娘を迎えました。こうして生まれたのが立で、二十歳で首席で合格し、官は翰林院の孔目にまで至りました。立は高を生み、高は禄を生み、ともに推挙されて学官となりました。禄は大綸を生み、大綸は科挙に合格しました。
解説

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『管子』禁藏故に身に適し義を行い、儉約恭敬なれば、其れ唯だ福無きも、禍も亦た來たらず。驕傲侈泰にして、度を離れ理を絶てば、其れ唯だ禍無きも、福も亦た至らず。是の故に君子は上は理を絶つ者を觀て、以て自ら恐れ、下は及ばざる者を觀て、以て自ら隱る。故に曰く、譽は虚しくは出でず、而して患いは獨りは生ぜず、福は家を擇ばず、禍は人を索めず、此れの謂いなりと。能く聞く所を以て瞻察すれば、則ち事必ず明らかならん。
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史記 楽書昔者黄帝以て大いに鬼神を合す、今君の徳義薄し、以て之を聴くに足らず、之を聴けば将に敗れんとす」と。平公曰く、「寡人老いたり、好む所の者は音なり、願はくは遂に之を聞かん」と。師曠已むを得ず、琴を援きて之を鼓す。一たび之を奏すれば、白雲有りて西北より起こる。再び之を奏すれば、大風至りて雨之に随ひ、廊瓦を飛ばし、左右皆奔走す。平公恐懼し、廊屋の間に伏す。晋国大いに旱し、赤地なること三年。聴く者或いは吉或いは凶。夫れ楽は妄りに興すべからざるなり。太史公曰く、夫れ上古の明王の楽を挙ぐるは、以て心を娯しませ自ら楽しみ、意を快くし欲を恣にするに非ず、将に以て治を為さんと欲するなり。正教は皆音に始まる、音正しくして行ひ正し。故に音楽とは、血脈を動蕩し、精神を通流して心を和正する所以なり。故に宮は脾を動かして聖を和正し、商は肺を動かして義を和正し、角は肝を動かして仁を和正し、徴は心を動かして礼を和正し、羽は腎を動かして智を和正す。故に楽は内は正心を輔けて外は貴賤を異にする所以なり。上は以て宗廟に事へ、下は以て黎庶を変化するなり。琴の長さ八尺一寸は、正度なり。弦の大なる者を宮と為して、中央に居る、君なり。商は右傍に張り、其の余は大小相次ぎ、其の次序を失はざれば、則ち君臣の位正し。故に宮音を聞けば、人をして温舒にして広大ならしむ。商音を聞けば、人をして方正にして義を好ましむ。角音を聞けば、人をして惻隠にして人を愛せしむ。徴音を聞けば、人をして善を楽しみて施しを好ましむ。羽音を聞けば、人をして整斉にして礼を好ましむ。夫れ礼は外より入り、楽は内より出づ。故に君子は須臾も礼を離るべからず、須臾も礼を離るれば則ち暴慢の行ひ外に窮まる。須臾も楽を離るべからず、須臾も楽を離るれば則ち姦邪の行ひ内に窮まる。故に楽音とは、君子の義を養ふ所なり。
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