了凡四訓 / 積善之方・善は日に修を加へ、德は日に厚きを加ふ
公又聞鬼語曰:「我當得代,奈此秀才壞吾事」。旁一鬼曰:「爾何不禍之?」曰:「上帝以此人心好,命作陰德尚書矣,吾何得而禍之?」應公因此益自努勵,善日加修,德日加厚;遇歲饑,輒捐穀以賑之;遇親戚有急,輒委曲維持;遇有橫逆,輒反躬自責,怡然順受;子孫登科第者,今累累也。
新字:公又聞鬼語曰:「我当得代,奈此秀才壊吾事」。旁一鬼曰:「爾何不禍之?」曰:「上帝以此人心好,命作陰徳尚書矣,吾何得而禍之?」応公因此益自努励,善日加修,徳日加厚;遇歳饑,輒捐穀以賑之;遇親戚有急,輒委曲維持;遇有横逆,輒反躬自責,怡然順受;子孫登科第者,今累累也。
書き下し
公又た鬼の語るを聞く、曰く、「我當に代はりを得べきに、奈せん此の秀才吾が事を壞る」と。旁らの一鬼曰く、「爾何ぞ之に禍せざる」と。曰く、「上帝此の人の心好きを以て、命じて陰德尚書と作す。吾何ぞ得て之に禍せん」と。應公此に因りて益々自ら努め勵み、善は日に修を加へ、德は日に厚きを加ふ。歲饑うるに遇へば、輒ち穀を捐てて以て之を賑はす。親戚に急有るに遇へば、輒ち委曲して維持す。橫逆有るに遇へば、輒ち躬に反りて自ら責め、怡然として順ひ受く。子孫の科第に登る者、今累累たり。
現代語訳
応公はまた、幽鬼がこう話すのを聞きました。「私は身代わりを得られるはずだったのに、あの秀才(書生)のせいで台なしにされた」。そばにいた別の幽鬼が「どうしてあいつに祟らないのか」と言うと、「天帝があの人の心の良さを見て、陰徳の尚書にすると命じられたのだ。どうして祟ることなどできようか」と答えました。応公はこれを聞いてますます自らを励まし、善行は日ごとに修め、徳は日ごとに厚くしていきました。凶作の年にあえば、すぐに穀物を出して人々を救いました。親戚に急な困りごとがあれば、あれこれ手を尽くして支えました。理不尽な仕打ちを受ければ、すぐに我が身を振り返って自分を責め、にこやかに受け入れました。その子孫で科挙に合格した者は、今も次々と出ています。
解説

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