了凡四訓 / 積善之方・喜ぶすら且つ不可、況んや怒るをや
鄞人楊自懲,初為縣吏,存心仁厚,守法公平。時縣宰嚴肅,偶撻一囚,血流滿前,而怒猶未息,楊跪而寬解之。宰曰:「怎奈此人越法悖理,不由人不怒。」自懲叩首曰:「『上失其道,民散久矣。如得其情,哀矜勿喜。』喜且不可,而況怒乎?」宰為之霽顏。 家甚貧,餽遺一無所取。遇囚人乏糧,常多方以濟之。一日,有新囚數人待哺,家又缺米;給囚則家人無食;自顧則囚人堪憫;與其婦商之。婦曰:「囚從何來?」曰:「自杭而來。沿路忍饑,菜色可掬。」因撤己之米,煮粥以食囚。後生二子,長曰守陳,次曰守址,為南北吏部侍郎;長孫為刑部侍郎;次孫為四川廉憲,又俱為名臣。今楚亭、德政,亦其裔也。
新字:鄞人楊自懲,初為県吏,存心仁厚,守法公平。時県宰厳粛,偶撻一囚,血流満前,而怒猶未息,楊跪而寛解之。宰曰:「怎奈此人越法悖理,不由人不怒。」自懲叩首曰:「『上失其道,民散久矣。如得其情,哀矜勿喜。』喜且不可,而況怒乎?」宰為之霽顔。 家甚貧,餽遺一無所取。遇囚人乏糧,常多方以済之。一日,有新囚数人待哺,家又欠米;給囚則家人無食;自顧則囚人堪憫;与其婦商之。婦曰:「囚従何来?」曰:「自杭而来。沿路忍饑,菜色可掬。」因撤己之米,煮粥以食囚。後生二子,長曰守陳,次曰守址,為南北吏部侍郎;長孫為刑部侍郎;次孫為四川廉憲,又倶為名臣。今楚亭、徳政,亦其裔也。
書き下し
鄞の人楊自懲、初め縣吏と為り、心を存すること仁厚、法を守ること公平なり。時に縣宰嚴肅にして、偶ま一囚を撻ち、血流れて前に滿つるも、怒り猶ほ未だ息まず。楊跪きて之を寬解す。宰曰く、「怎奈せん、此の人法を越え理に悖る。人の怒らざるに由らず」と。自懲叩首して曰く、「『上其の道を失ひ、民散ずること久し。如し其の情を得ば、哀矜して喜ぶこと勿かれ』と。喜ぶすら且つ不可なり、而るを況んや怒るをや」と。宰之が為に顏を霽らす。 家甚だ貧しきも、餽遺は一も取る所無し。囚人の糧に乏しきに遇へば、常に多方して以て之を濟ふ。一日、新囚數人の哺を待つ有り、家又た米を缺く。囚に給すれば則ち家人食無く、自ら顧みれば則ち囚人憫むに堪へたり。其の婦と之を商る。婦曰く、「囚は何くより來る」と。曰く、「杭より來る。沿路饑ゑを忍び、菜色掬すべし」と。因りて己の米を撤し、粥を煮て以て囚に食はしむ。後に二子を生む。長を守陳と曰ひ、次を守址と曰ひ、南北の吏部侍郎と為る。長孫は刑部侍郎と為り、次孫は四川の廉憲と為り、又た俱に名臣と為る。今の楚亭・德政も、亦た其の裔なり。
現代語訳
鄞(今の浙江省寧波)の人、楊自懲は、はじめ県の役人でした。心は思いやり深く、法の運用は公平でした。当時の県知事は厳しい人で、あるとき一人の囚人を鞭打ち、血が前に流れ広がってもなお怒りが収まりませんでした。楊はひざまずいてなだめました。知事は「どうしようもない、この者は法を越え道理に背いたのだ。怒らずにはいられない」と言いました。自懲は額を地につけて言いました。「『上に立つ者が道を失い、民が離れてから久しい。もし罪の実情をつかんだなら、哀れんで、喜んではならない』とあります。喜ぶことさえいけないのに、まして怒るなどもってのほかです」。知事はそれで表情を和らげました。 家はとても貧しかったのですが、贈り物は一つも受け取りませんでした。囚人が食糧に困っていると、いつもあれこれ手を尽くして助けました。ある日、新しく来た囚人が数人、食べ物を待っていましたが、家にも米がありませんでした。囚人に与えれば家族が食べられず、自分たちのことを考えれば囚人が哀れでなりません。妻に相談すると、妻は「囚人はどこから来たのですか」と尋ねました。「杭州から来た。道中ずっと飢えをこらえて、青ざめた顔色が手ですくえそうなほどだ」と答えました。そこで自分たちの米を取り分け、粥を炊いて囚人に食べさせました。のちに二人の息子が生まれ、長男を守陳、次男を守址といい、それぞれ南京と北京の吏部侍郎になりました。上の孫は刑部侍郎に、下の孫は四川の按察使(廉憲)になり、いずれも名臣となりました。今の楚亭・徳政も、その子孫です。
解説

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