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了凡四訓 / 改過之法・未だ其の事を禁ぜず、先づ其の理を明らかにす

如前日殺生,今戒不殺;前日怒詈,今戒不怒;此就其事而改之者也。強制於外,其難百倍;且病根終在,東滅西生,非究竟廓然之道也。 善改過者,未禁其事,先明其理。 如過在殺生,即思曰:「上帝好生,物皆戀命;殺彼養己,豈能自安?且彼之殺也:既受屠割,復入鼎鑊;種種痛苦,徹入骨髓。己之養也:珍膏羅列,食過即空;疏食菜羹,儘可充腹。何必戕彼之生,損己之福哉?」

新字:如前日殺生,今戒不殺;前日怒詈,今戒不怒;此就其事而改之者也。強制於外,其難百倍;且病根終在,東滅西生,非究竟廓然之道也。 善改過者,未禁其事,先明其理。 如過在殺生,即思曰:「上帝好生,物皆恋命;殺彼養己,豈能自安?且彼之殺也:既受屠割,復入鼎鑊;種種痛苦,徹入骨髄。己之養也:珍膏羅列,食過即空;疏食菜羹,儘可充腹。何必戕彼之生,損己之福哉?」

書き下し

前日は殺生し、今殺さざるを戒め、前日は怒り詈り、今怒らざるを戒むるが如き、此れ其の事に就きて之を改むる者なり。外に強制するは、其の難きこと百倍す。且つ病根終に在りて、東に滅すれば西に生ず。究竟廓然の道に非ざるなり。 善く過を改むる者は、未だ其の事を禁ぜずして、先づ其の理を明らかにす。 過の殺生に在るが如きは、即ち思ひて曰く「上帝は生を好み、物は皆な命を戀ふ。彼を殺して己を養ふ、豈に能く自ら安んぜんや。且つ彼の殺さるるや、既に屠割を受け、復た鼎鑊に入る。種種の痛苦、骨髓に徹入す。己の養ふや、珍膏羅列するも、食過ぐれば即ち空し。疏食菜羹も、儘く腹を充たすべし。何ぞ必ずしも彼の生を戕ひて、己の福を損ぜんや」と。

現代語訳

たとえば、以前は生き物を殺していたが今は殺さないよう戒め、以前は怒って罵っていたが今は怒らないよう戒める。これは事そのものについて改めるやり方です。外から無理に抑えつけるので、その難しさは百倍です。しかも病の根は結局残っていて、東で消えれば西に生えるというように、別の形で現れます。根本から晴れ晴れと解決する道ではありません。過ちを改めるのが上手な人は、その事を禁じる前に、まずその道理を明らかにします。たとえば過ちが殺生にあるなら、こう考えます。「天帝は生かすことを好み、生き物はみな命を惜しむ。相手を殺して自分を養って、どうして心が安らかでいられようか。しかも相手は殺されるとき、切り裂かれたうえに鍋や釜に入れられ、さまざまな苦痛が骨の髄までしみわたる。自分が養われる方はどうか。ごちそうを並べても、食べ終われば何も残らない。粗末な飯と野菜の汁でも十分に腹は満たせる。どうしてわざわざ相手の命を損なって、自分の福を減らすことがあろうか」。

解説

過ちの改め方の第一段階「事の上から改める」と、第二段階「理の上から改める」を対比する段です。殺生や怒りを行為として禁じるだけでは、外から押さえつけるので難しく、病の根が残って別の形で吹き出すと了凡は言います。そこで、まずなぜそれがいけないのかという道理を腹に落とせと勧めます。殺生については、生き物の苦しみと、食べ終われば消える自分の楽しみとを比べさせます。仏教の不殺生の考えが背景にありますが、方法としては普遍的です。規則で縛るだけでは、人は抜け道を探します。なぜやめるのかを本人が納得すれば、行いは無理なく変わります。組織で悪い習慣を正すときにも、同じことが言えます。

この章句が説くこと

改過道理殺生慈悲納得

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