了凡四訓 / 立命之學・日日非を知り、日日過を改む
務要日日知非,日日改過;一日不知非,即一日安於自是;一日無過可改,即一日無步可進;天下聰明俊秀不少,所以德不加修、業不加廣者,只為因循二字,耽閣一生。 雲谷禪師所授立命之說,乃至精、至邃、至真、至正之理,其熟玩而勉行之,毋自曠也。
新字:務要日日知非,日日改過;一日不知非,即一日安於自是;一日無過可改,即一日無歩可進;天下聰明俊秀不少,所以徳不加修、業不加広者,只為因循二字,耽閣一生。 雲谷禅師所授立命之説,乃至精、至邃、至真、至正之理,其熟玩而勉行之,毋自曠也。
書き下し
務めて日日非を知り、日日過を改むることを要す。一日非を知らざれば、即ち一日自ら是とするに安んず。一日過の改むべき無ければ、即ち一日步の進むべき無し。天下に聰明俊秀少なからず。德、修を加へず、業、廣を加へざる所以の者は、只だ因循の二字の為に、一生を耽閣す。 雲谷禪師の授くる所の立命の說は、乃ち至精・至邃・至真・至正の理なり。其れ熟玩して之を勉め行ひ、自ら曠しくすること毋かれ。
現代語訳
毎日自分の非を知り、毎日過ちを改めるよう努めなければなりません。一日でも非を知らなければ、その一日は自分が正しいと思い込んで安住してしまいます。一日でも改めるべき過ちがなければ、その一日は一歩も進めません。世の中に聡明で優れた人は少なくありません。それなのに徳が修まらず、事業が広がらないのは、ただ「因循」(ぐずぐずと古い習慣に従うこと)の二字のために、一生を無駄にしてしまうからです。雲谷禅師が授けてくださった立命の説は、このうえなく精しく、深く、真実で、正しい道理です。よく味わって努めて実行し、自分をむなしく過ごさせてはなりません。
解説
第一篇「立命之学」の結びです。了凡は、毎日自分の非を知り、毎日過ちを改めよと息子に説きます。改める過ちが見つからない日は、自分を正しいと思い込んで一歩も進めない日だと言うのです。才能ある人が伸び悩む原因は、ただ「因循」、つまりぐずぐずと昔のやり方に流されることにあると指摘します。過ちが見えない日を順調と考えず、停滞と考える見方は厳しいものです。しかし、毎日小さく振り返り、小さく改めることを積み重ねる人が、結局は遠くまで行きます。この結びは次の第二篇「改過之法」への橋渡しにもなっています。雲谷禅師から受けた教えを、息子に確かに手渡そうとする父の言葉です。
この章句が説くこと
改過立命因循修身家訓
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