了凡四訓 / 立命之學・從前の種種は譬へば昨日死するが如し
「汝今既知非。將向來不發科第,及不生子相,盡情改刷。務要積德,務要包荒,務要和愛,務要惜精神。從前種種,譬如昨日死;從後種種,譬如今日生。此義理再生之身也。 「夫血肉之身,尚然有數;義理之身,豈不能格天?太甲曰:『天作孽,猶可違;自作孽,不可活。』詩云:『永言配命,自求多福。』孔先生算汝不登科第,不生子者;此天作之孽,猶可得而違。汝今擴充德性,力行善事,多積陰德;此自己所作之福也,安得而不受享乎?
新字:「汝今既知非。将向来不発科第,及不生子相,尽情改刷。務要積徳,務要包荒,務要和愛,務要惜精神。従前種種,譬如昨日死;従後種種,譬如今日生。此義理再生之身也。 「夫血肉之身,尚然有数;義理之身,豈不能格天?太甲曰:『天作孽,猶可違;自作孽,不可活。』詩云:『永言配命,自求多福。』孔先生算汝不登科第,不生子者;此天作之孽,猶可得而違。汝今擴充徳性,力行善事,多積陰徳;此自己所作之福也,安得而不受享乎?
書き下し
「汝今既に非を知る。向來の科第を發せず、及び子を生まざるの相を將て、盡情に改刷せよ。務めて德を積むを要し、務めて荒を包むを要し、務めて和愛を要し、務めて精神を惜しむを要す。從前の種種は、譬へば昨日死するが如く、從後の種種は、譬へば今日生まるるが如し。此れ義理再生の身なり。 「夫れ血肉の身すら、尚然として數有り。義理の身、豈に天に格る能はざらんや。太甲に曰く『天の作せる孽は、猶ほ違くべし。自ら作せる孽は、活くべからず』と。詩に云ふ『永く言に命に配し、自ら多福を求む』と。孔先生の汝を算して科第に登らず、子を生まずとする者は、此れ天の作せる孽にして、猶ほ得て違くべし。汝今德性を擴充し、力めて善事を行ひ、多く陰德を積まば、此れ自己の作す所の福なり。安んぞ得て受享せざらんや。
現代語訳
「あなたは今、自分の非を知った。これまでの、科挙に合格しない相と子を授からない相を、徹底して改め拭い去りなさい。努めて徳を積み、努めて度量を広くして人を包み込み、努めて和やかに人を愛し、努めて精神を大切にしなさい。以前のさまざまなことは昨日死んだものと思い、以後のさまざまなことは今日生まれたものと思いなさい。これが道義によって生まれ変わった身である。そもそも血肉の身でさえ、なお定まった数がある。まして道義の身が、どうして天を動かせないことがあろうか。『書経』太甲篇に『天がもたらす災いはまだ避けられる。自分がつくった災いからは逃れて生きられない』とある。『詩経』には『いつまでも天命にかなうよう努め、自ら多くの福を求める』とある。孔先生があなたを科挙に合格せず子も授からないと算定したのは、天がもたらす災いであり、まだ避けることができる。あなたが今、徳性を広げ、力を尽くして善い行いをし、陰徳を多く積むなら、それは自分でつくった福である。どうしてそれを受けられないことがあろうか。
解説
この章句が説くこと
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