了凡四訓 / 立命之學・余は福薄し
因問:「孔公算汝終身若何?」余以實告。雲谷曰:「汝自揣應得科第否?應生子否?」 余追省良久,曰:「不應也。科第中人,類有福相,余福薄,又不能積功累行,以基厚福;兼不耐煩劇,不能容人;時或以才智蓋人,直心直行,輕言妄談。凡此皆薄福之相也,豈宜科第哉?
新字:因問:「孔公算汝終身若何?」余以実告。雲谷曰:「汝自揣応得科第否?応生子否?」 余追省良久,曰:「不応也。科第中人,類有福相,余福薄,又不能積功累行,以基厚福;兼不耐煩劇,不能容人;時或以才智蓋人,直心直行,軽言妄談。凡此皆薄福之相也,豈宜科第哉?
書き下し
因りて問ふ「孔公、汝の終身を算すること若何」と。余、實を以て告ぐ。雲谷曰く「汝自ら揣るに、應に科第を得べきや否や。應に子を生むべきや否や」と。 余、追省すること良久しくして、曰く「應ぜざるなり。科第中の人は、類ね福相有り。余は福薄く、又た功を積み行を累ねて、以て厚福を基する能はず。兼ねて煩劇に耐へず、人を容るる能はず。時に或いは才智を以て人を蓋ひ、直心直行、輕言妄談す。凡そ此れ皆な薄福の相なり。豈に科第に宜しからんや。
現代語訳
禅師は続けて尋ねました。「孔先生はあなたの一生をどう算定したのか」。私はありのままに話しました。禅師は言いました。「あなた自身で推し量って、科挙に合格するはずの人間だと思うか。子を授かるはずの人間だと思うか」。私はしばらくじっくりと振り返ってから言いました。「そうではありません。科挙に合格する人は、たいてい福相をしています。私は福が薄く、そのうえ功を積み行いを重ねて厚い福の土台を築くこともできません。加えて、煩わしく忙しいことに耐えられず、人を受け入れることができません。ときには才知で人を押さえつけ、思ったままに言い行い、軽々しく口をきき、でたらめなことを言います。これらはみな福の薄い人の相です。どうして科挙にふさわしいでしょうか。
解説

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