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了凡四訓 / 立命之學・命は我より作し、福は己より求む

雲谷笑曰:「我待汝是豪傑,原來只是凡夫。」 問其故。曰:「人未能無心,終為陰陽所縛,安得無數?但惟凡人有數;極善之人,數固拘他不定;極惡之人,數亦拘他不定。汝二十年來,被他算定,不曾轉動一毫,豈非是凡夫?」 余問曰:「然則數可逃乎?」曰:「『命由我作,福自己求。』詩書所稱,的為明訓。我教典中說:『求富貴得富貴,求男女得男女,求長壽得長壽。』夫妄語乃釋迦大戒,諸佛菩薩,豈誑語欺人?」

新字:雲谷笑曰:「我待汝是豪傑,原来只是凡夫。」 問其故。曰:「人未能無心,終為陰陽所縛,安得無数?但惟凡人有数;極善之人,数固拘他不定;極悪之人,数亦拘他不定。汝二十年来,被他算定,不曽転動一毫,豈非是凡夫?」 余問曰:「然則数可逃乎?」曰:「『命由我作,福自己求。』詩書所称,的為明訓。我教典中説:『求富貴得富貴,求男女得男女,求長寿得長寿。』夫妄語乃釈迦大戒,諸仏菩薩,豈誑語欺人?」

書き下し

雲谷笑ひて曰く「我、汝を待つに豪傑を以てす。原來只だ是れ凡夫なり」と。 其の故を問ふ。曰く「人未だ無心なる能はざれば、終に陰陽の縛する所と為る。安んぞ數無きを得ん。但だ惟だ凡人のみ數有り。極善の人は、數固より他を拘へ定めず。極惡の人も、數亦た他を拘へ定めず。汝二十年來、他に算定せられて、曾て一毫も轉動せず。豈に凡夫に非ずや」と。 余問ひて曰く「然らば則ち數は逃るべきか」と。曰く「『命は我より作し、福は己より求む。』詩書の稱する所、的に明訓たり。我が教典の中に說く『富貴を求むれば富貴を得、男女を求むれば男女を得、長壽を求むれば長壽を得』と。夫れ妄語は乃ち釋迦の大戒なり。諸佛菩薩、豈に誑語して人を欺かんや」と。

現代語訳

雲谷禅師は笑って言いました。「私はあなたを豪傑だと思っていたが、なんと、ただの凡夫だったのか」。私がそのわけを尋ねると、禅師は言いました。「人は無心になれないかぎり、結局は陰陽に縛られる。どうして定まった数がないことがあろうか。だが、定まった数があるのは凡人だけだ。極めて善い人は、数がその人を縛りきれない。極めて悪い人も、数はその人を縛りきれない。あなたは二十年来、数に算定されたまま、少しも動かせずにきた。これが凡夫でなくて何だろう」。私は尋ねました。「それでは、数から逃れることができるのですか」。禅師は答えました。「『命は自分がつくり、福は自分で求める』。これは『詩経』『書経』が述べる、確かな教えだ。私の仏典にも『富貴を求めれば富貴を得、子を求めれば子を得、長寿を求めれば長寿を得る』と説かれている。そもそも嘘をつくことは釈迦の大きな戒めだ。諸仏や菩薩が、どうして偽りを言って人を欺くだろうか」。

解説

『了凡四訓』の中心にある「命は我より作し、福は己より求む」が登場する段です。雲谷禅師は、運命の数に縛られるのは凡人だけで、極善の人も極悪の人も数に縛りきれないと説きます。二十年間、占いの筋書きから一歩も動かなかった了凡を、禅師は凡夫と笑いました。禅師はこの言葉を儒家の経書の教えとして示し、さらに仏典の言葉と、仏は嘘をつかないという戒律を添えています。儒と仏を重ねて説くのが、この書の特色です。決められた道を歩くことが悪いのではありません。問われているのは、自分の行いで道を変えうると思っているかどうかです。

この章句が説くこと

立命運命凡夫因果自求

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