了凡四訓 / 立命之學・名づけて治心編と曰ふ
余行一事,隨以筆記;汝母不能書,每行一事,輒用鵝毛管,印一硃圈於曆日之上。或施食貧人,或買放生命,一日有多至十餘圈者。至癸未八月,三千之數已滿。復請性空輩,就家庭回向。九月十三日,復起求中進士願,許行善事一萬條。丙戌登第,授寶坻知縣。 余置空格一冊,名曰「治心編」。晨起坐堂,家人攜付門役,置案上,所行善惡,纖悉必記。夜則設桌於庭,效趙閱道焚香告帝。
新字:余行一事,随以筆記;汝母不能書,毎行一事,輒用鵝毛管,印一硃圏於暦日之上。或施食貧人,或買放生命,一日有多至十余圏者。至癸未八月,三千之数已満。復請性空輩,就家庭回向。九月十三日,復起求中進士願,許行善事一万条。丙戌登第,授宝坻知県。 余置空格一冊,名曰「治心編」。晨起坐堂,家人攜付門役,置案上,所行善悪,繊悉必記。夜則設桌於庭,効趙閲道焚香告帝。
書き下し
余、一事を行へば、隨ひて筆を以て記す。汝の母は書する能はず。一事を行ふ每に、輒ち鵝毛管を用ひて、一硃圈を曆日の上に印す。或いは食を貧人に施し、或いは生命を買ひて放つ。一日に多きは十餘圈に至る者有り。癸未の八月に至りて、三千の數已に滿つ。復た性空の輩を請ひて、家庭に就きて回向す。九月十三日、復た進士に中らんことを求むるの願を起こし、善事一萬條を行ふことを許す。丙戌に第に登り、寶坻の知縣を授けらる。 余、空格の一冊を置き、名づけて「治心編」と曰ふ。晨に起きて堂に坐すれば、家人攜へて門役に付し、案上に置かしむ。行ふ所の善惡、纖悉必ず記す。夜は則ち桌を庭に設け、趙閱道に效ひて香を焚きて帝に告ぐ。
現代語訳
私は一つのことを行うたびに筆で記録しました。あなたの母は字が書けないので、一つのことを行うたびに、鵞鳥の羽の軸を使って暦の上に朱の丸を一つ押しました。貧しい人に食べ物を施したり、生き物を買い取って放してやったりして、一日に十数個もの丸がつく日もありました。癸未の年の八月になって、三千の数がすでに満ちました。再び性空師らを招いて、家で回向しました。九月十三日、今度は進士に合格したいという願を立て、善事を一万件行うと誓いました。丙戌の年に進士に合格し、宝坻県の知県に任じられました。私は罫を引いた空白の帳面を一冊用意し、「治心編」と名づけました。朝起きて役所の座に着くと、家の者がそれを持ってきて門番に渡し、机の上に置かせました。行った善も悪も、細かなことまで必ず記しました。夜には庭に机を設け、趙閲道(北宋の趙抃)にならって香を焚き、天帝に報告しました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『了凡四訓』立命之學・三千の善行始めて完る然れども義を行ふこと未だ純ならず、身を檢すること多く誤る。或いは善を見て之を行ふこと勇ならず、或いは人を救ひて心常に自ら疑ふ。或いは身は勉めて善を為して、口に過言有り。或いは醒むる時は操持して、醉ひて後放逸す。過を以て功を折り、日常虛しく度る。己巳の歲に願を發してより、直ちに己卯の歲に至るまで、十餘年を歷て、三千の善行始めて完る。 時に、方に李漸庵に從ひて關に入り、未だ回向するに及ばず。庚辰に南還す。始めて性空・慧空諸上人を請ひ、東塔禪堂に就きて回向す。遂に子を求むるの願を起こし、亦た三千の善事を行ふことを許す。辛巳、男天啟を生む。
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『了凡四訓』立命之學・積善の家には必ず餘慶有り「易は君子の為に謀り、吉に趨き凶を避く。若し天命常有りと言はば、吉何ぞ趨くべけん。凶何ぞ避くべけん。開章第一義に、便ち說く『積善の家には、必ず餘慶有り』と。汝信じ得るや否や」と。 余、其の言を信じ、拜して教へを受く。因りて往日の罪を將て、佛前に盡情に發露し、疏一通を為り、先づ登科を求む。誓ひて善事三千條を行ひ、以て天地祖宗の德に報いんとす。 雲谷、功過格を出だして余に示し、行ふ所の事を、日を逐ひて登記せしむ。善は則ち數を記し、惡は則ち退除す。且つ準提咒を持することを教へ、以て必ず驗あらんことを期す。
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『了凡四訓』立命之學・只だ減糧の一節にて萬行俱に完る汝の母、行ふ所の多からざるを見て、輒ち顰蹙して曰く「我、前に家に在りしときは、相助けて善を為す。故に三千の數完ふするを得たり。今一萬を許すも、衙中に事の行ふべき無し。何れの時にか圓滿するを得ん」と。 夜間偶々夢に一神人を見る。余、善事の完し難きの故を言ふ。神曰く「只だ減糧の一節にて、萬行俱に完る」と。蓋し寶坻の田は、每畝二分三釐七毫なり。余、為に區處して、減じて一分四釐六毫に至らしむ。委に此の事有り。心頗る驚き疑ふ。適々幻余禪師五臺より來る。余、夢を以て之に告げ、且つ此の事宜しく信ずべきや否やを問ふ。
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『了凡四訓』立命之學・號を改めて了凡と曰ふ余、初め學海と號す。是の日號を改めて了凡とす。蓋し立命の說を悟りて、凡夫の窠臼に落つるを欲せざるなり。此れより而後、終日兢兢として、便ち前と同じからざるを覺ゆ。前日は只だ是れ悠悠として放任し、此に到りて自ら戰兢惕厲の景象有り。暗室屋漏の中に在りても、常に罪を天地鬼神に得んことを恐る。人の我を憎み、我を毀るに遇へば、自ら能く恬然として容受す。 明年に到りて禮部に科舉を考す。孔先生の算は第三に該るに、忽ち第一に考す。其の言驗あらずして、秋闈に中式す。
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『了凡四訓』立命之學・禍福は自己より之を求む師曰く「善心真切なれば、即ち一行も萬善に當るべし。況んや合縣の減糧、萬民の福を受くるをや」と。吾、即ち俸銀を捐て、其れに請ひて五臺山に就きて僧一萬を齋して之を回向せしむ。 孔公、予を算して五十三歲に厄有りとす。余、未だ嘗て壽を祈らず。是の歲竟に恙無く、今六十九なり。書に曰く「天は諶とし難く、命は常靡し」と。又た云ふ「惟れ命は常に於いてせず」と。皆な誑語に非ず。吾、是に於いて知る、凡そ禍福は自己より之を求むと稱する者は、乃ち聖賢の言なり。若し禍福は惟だ天の命ずる所と謂はば、則ち世俗の論なり。
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『了凡四訓』立命之學・終身の休咎を卜す孔、余が為に數を起こす。「縣考の童生は、當に十四名なるべし。府考は七十一名、提學考は第九名」と。明年考に赴くに、三處の名數皆な合ふ。 復た為に終身の休咎を卜して、言ふ「某年は考へて第幾名、某年は當に廩に補せらるべし、某年は當に貢せらるべし。貢の後某年、當に四川の一大尹に選ばるべし。任に在ること三年半にして、即ち宜しく告歸すべし。五十三歲八月十四日丑の時、當に正寢に終るべし。惜しいかな子無し」と。余、備に錄して謹みて之を記す。