了凡四訓 / 立命之學・號を改めて了凡と曰ふ
余初號學海,是日改號了凡。蓋悟立命之說,而不欲落凡夫窠臼也。從此而後,終日兢兢,便覺與前不同。前日只是悠悠放任,到此自有戰兢惕厲景象。在暗室屋漏中,常恐得罪天地鬼神。遇人憎我、毀我,自能恬然容受。 到明年禮部考科舉,孔先生算該第三,忽考第一;其言不驗,而秋闈中式矣。
新字:余初号学海,是日改号了凡。蓋悟立命之説,而不欲落凡夫窠臼也。従此而後,終日兢兢,便覚与前不同。前日只是悠悠放任,到此自有戦兢惕厲景象。在暗室屋漏中,常恐得罪天地鬼神。遇人憎我、毀我,自能恬然容受。 到明年礼部考科舉,孔先生算該第三,忽考第一;其言不験,而秋闈中式矣。
書き下し
余、初め學海と號す。是の日號を改めて了凡とす。蓋し立命の說を悟りて、凡夫の窠臼に落つるを欲せざるなり。此れより而後、終日兢兢として、便ち前と同じからざるを覺ゆ。前日は只だ是れ悠悠として放任し、此に到りて自ら戰兢惕厲の景象有り。暗室屋漏の中に在りても、常に罪を天地鬼神に得んことを恐る。人の我を憎み、我を毀るに遇へば、自ら能く恬然として容受す。 明年に到りて禮部に科舉を考す。孔先生の算は第三に該るに、忽ち第一に考す。其の言驗あらずして、秋闈に中式す。
現代語訳
私はもともと学海と号していましたが、この日、号を了凡と改めました。立命の説を悟り、凡夫のありきたりの型に落ちたくないと思ったからです。それからは一日じゅう慎み深くして、以前とは違うと自分でも感じるようになりました。以前はのんびりと気ままにしていただけでしたが、このときからおのずと恐れ慎み、自らを励ます様子が出てきました。人目のない暗い部屋の片隅にいても、いつも天地や鬼神に対して罪を犯すことを恐れました。人に憎まれたり、そしられたりしても、自然と平然として受け入れられるようになりました。翌年、礼部が科挙の試験を行ったとき、孔先生の占いでは三番のはずでしたが、思いがけず一番になりました。その予言が当たらず、秋の郷試(省の試験)に合格しました。
解説
この章句が説くこと
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