了凡四訓 / 立命之學・進退に命有り、遲速に時有り
余因此益信進退有命,遲速有時,澹然無求矣。 貢入燕都,留京一年,終日靜坐,不閱文字。己巳歸,游南雍。未入監,先訪雲谷會禪師於棲霞山中,對坐一室,凡三晝夜不瞑目。 雲谷問曰:「凡人所以不得作聖者,只為妄念相纏耳。汝坐三日,不見起一妄念,何也?」 余曰:「吾為孔先生算定,榮辱生死,皆有定數。即要妄想,亦無可妄想。」
新字:余因此益信進退有命,遅速有時,澹然無求矣。 貢入燕都,留京一年,終日静坐,不閲文字。己巳帰,游南雍。未入監,先訪雲谷会禅師於棲霞山中,対坐一室,凡三昼夜不瞑目。 雲谷問曰:「凡人所以不得作聖者,只為妄念相纏耳。汝坐三日,不見起一妄念,何也?」 余曰:「吾為孔先生算定,栄辱生死,皆有定数。即要妄想,亦無可妄想。」
書き下し
余、此れに因りて益々進退に命有り、遲速に時有るを信じ、澹然として求むる無し。 貢して燕都に入り、京に留まること一年、終日靜坐して、文字を閲せず。己巳に歸り、南雍に游ぶ。未だ監に入らざるに、先づ雲谷會禪師を棲霞山中に訪ひ、一室に對坐すること、凡そ三晝夜目を瞑せず。 雲谷問ひて曰く「凡そ人の聖と作るを得ざる所以の者は、只だ妄念の相纏ふが為のみ。汝坐すること三日、一妄念を起こすを見ず。何ぞや」と。 余曰く「吾、孔先生に算定せられ、榮辱生死、皆な定數有り。即ひ妄想せんと要すとも、亦た妄想すべき無し」と。
現代語訳
私はこのことで、出世にも退きにも運命があり、遅い早いにも時があるとますます信じるようになり、淡々として何も求めなくなりました。貢生として北京に入り、都に一年とどまりましたが、一日じゅう静坐して、書物を読みませんでした。己巳の年に帰り、南京の国子監(南雍)で学ぶことになりました。まだ入学する前に、まず棲霞山に雲谷会禅師を訪ね、一室で向かい合って座り、三日三晩まったく目を閉じませんでした。雲谷禅師が尋ねました。「およそ人が聖人になれないのは、ただ妄念がまとわりつくからにすぎない。あなたは三日座って、一つの妄念も起こさなかった。なぜか」。私は答えました。「私は孔先生に一生を算定されていて、栄誉も恥辱も、生も死も、みな定まった数があります。妄想しようとしても、妄想することがないのです」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『了凡四訓』立命之學・余は福薄し因りて問ふ「孔公、汝の終身を算すること若何」と。余、實を以て告ぐ。雲谷曰く「汝自ら揣るに、應に科第を得べきや否や。應に子を生むべきや否や」と。 余、追省すること良久しくして、曰く「應ぜざるなり。科第中の人は、類ね福相有り。余は福薄く、又た功を積み行を累ねて、以て厚福を基する能はず。兼ねて煩劇に耐へず、人を容るる能はず。時に或いは才智を以て人を蓋ひ、直心直行、輕言妄談す。凡そ此れ皆な薄福の相なり。豈に科第に宜しからんや。
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『了凡四訓』立命之學・命は我より作し、福は己より求む雲谷笑ひて曰く「我、汝を待つに豪傑を以てす。原來只だ是れ凡夫なり」と。 其の故を問ふ。曰く「人未だ無心なる能はざれば、終に陰陽の縛する所と為る。安んぞ數無きを得ん。但だ惟だ凡人のみ數有り。極善の人は、數固より他を拘へ定めず。極惡の人も、數亦た他を拘へ定めず。汝二十年來、他に算定せられて、曾て一毫も轉動せず。豈に凡夫に非ずや」と。 余問ひて曰く「然らば則ち數は逃るべきか」と。曰く「『命は我より作し、福は己より求む。』詩書の稱する所、的に明訓たり。我が教典の中に說く『富貴を求むれば富貴を得、男女を求むれば男女を得、長壽を求むれば長壽を得』と。夫れ妄語は乃ち釋迦の大戒なり。諸佛菩薩、豈に誑語して人を欺かんや」と。
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『了凡四訓』立命之學・禍福は自己より之を求む師曰く「善心真切なれば、即ち一行も萬善に當るべし。況んや合縣の減糧、萬民の福を受くるをや」と。吾、即ち俸銀を捐て、其れに請ひて五臺山に就きて僧一萬を齋して之を回向せしむ。 孔公、予を算して五十三歲に厄有りとす。余、未だ嘗て壽を祈らず。是の歲竟に恙無く、今六十九なり。書に曰く「天は諶とし難く、命は常靡し」と。又た云ふ「惟れ命は常に於いてせず」と。皆な誑語に非ず。吾、是に於いて知る、凡そ禍福は自己より之を求むと稱する者は、乃ち聖賢の言なり。若し禍福は惟だ天の命ずる所と謂はば、則ち世俗の論なり。
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『了凡四訓』立命之學・終身の休咎を卜す孔、余が為に數を起こす。「縣考の童生は、當に十四名なるべし。府考は七十一名、提學考は第九名」と。明年考に赴くに、三處の名數皆な合ふ。 復た為に終身の休咎を卜して、言ふ「某年は考へて第幾名、某年は當に廩に補せらるべし、某年は當に貢せらるべし。貢の後某年、當に四川の一大尹に選ばるべし。任に在ること三年半にして、即ち宜しく告歸すべし。五十三歲八月十四日丑の時、當に正寢に終るべし。惜しいかな子無し」と。余、備に錄して謹みて之を記す。
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『了凡四訓』立命之學・實に九十一石五斗なり此れより以後、凡そ考校に遇ふごとに、其の名數の先後、皆な孔公の懸定する所を出でず。獨り余が廩米九十一石五斗を食みて當に出貢すべしと算す。米七十餘石を食むに及びて、屠宗師即ち補貢を批准す。余、竊かに之を疑ふ。 後果して署印の楊公の駁する所と為る。直ちに丁卯の年に至りて、殷秋溟宗師、余が場中の備卷を見て、歎じて曰く「五策は、即ち五篇の奏議なり。豈に博洽淹貫の儒をして、窗下に老いしむべけんや」と。遂に縣の申文に依りて貢を准す。前の食米を連ねて之を計ふるに、實に九十一石五斗なり。
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『了凡四訓』立命之學・號を改めて了凡と曰ふ余、初め學海と號す。是の日號を改めて了凡とす。蓋し立命の說を悟りて、凡夫の窠臼に落つるを欲せざるなり。此れより而後、終日兢兢として、便ち前と同じからざるを覺ゆ。前日は只だ是れ悠悠として放任し、此に到りて自ら戰兢惕厲の景象有り。暗室屋漏の中に在りても、常に罪を天地鬼神に得んことを恐る。人の我を憎み、我を毀るに遇へば、自ら能く恬然として容受す。 明年に到りて禮部に科舉を考す。孔先生の算は第三に該るに、忽ち第一に考す。其の言驗あらずして、秋闈に中式す。