了凡四訓 / 立命之學・夭壽貳はず
語余曰:「符籙家有云:『不會書符,被鬼神笑;此有秘傳,只是不動念也。』執筆書符,先把萬緣放下,一塵不起。從此念頭不動處,下一點,謂之混沌開基。由此而一筆揮成,更無思慮,此符便靈。凡祈天立命,都要從無思無慮處感格。 「孟子論立命之學,而曰:『夭壽不貳。』夫夭與壽,至貳者也。當其不動念時,孰為夭?孰為壽?細分之,豐歉不貳,然後可立貧富之命;窮通不貳,然後可立貴賤之命;夭壽不貳,然後可立生死之命。人生世間,惟死生為重,曰夭壽,則一切順逆皆該之矣。
新字:語余曰:「符籙家有云:『不会書符,被鬼神笑;此有秘伝,只是不動念也。』執筆書符,先把万縁放下,一塵不起。従此念頭不動処,下一点,謂之混沌開基。由此而一筆揮成,更無思慮,此符便霊。凡祈天立命,都要従無思無慮処感格。 「孟子論立命之学,而曰:『夭寿不貳。』夫夭与寿,至貳者也。当其不動念時,孰為夭?孰為寿?細分之,豊歉不貳,然後可立貧富之命;窮通不貳,然後可立貴賤之命;夭寿不貳,然後可立生死之命。人生世間,惟死生為重,曰夭寿,則一切順逆皆該之矣。
書き下し
余に語りて曰く「符籙家に云ふ有り『符を書くことを會せざれば、鬼神に笑はる。此に秘傳有り、只だ是れ念を動かさざるなり』と。筆を執りて符を書くに、先づ萬緣を把りて放下し、一塵も起こさず。此の念頭動かざる處より、一點を下す。之を混沌開基と謂ふ。此に由りて一筆に揮ひ成し、更に思慮無ければ、此の符便ち靈なり。凡そ天に祈りて命を立つるは、都て無思無慮の處より感格するを要す。 「孟子は立命の學を論じて、曰く『夭壽貳はず』と。夫れ夭と壽とは、至りて貳なる者なり。其の念を動かさざる時に當りて、孰か夭為る。孰か壽為る。細かに之を分かてば、豐歉貳はずして、然る後に貧富の命を立つべし。窮通貳はずして、然る後に貴賤の命を立つべし。夭壽貳はずして、然る後に生死の命を立つべし。人世間に生まれて、惟だ死生を重しと為す。夭壽と曰へば、則ち一切の順逆皆な之に該ぬ。
現代語訳
禅師は私に言いました。「符籙家(護符を書く道士)にこんな言葉がある。『護符の書き方を知らなければ、鬼神に笑われる。これには秘伝があって、それはただ念を動かさないことだ』。筆を執って護符を書くとき、まずあらゆる縁を手放し、塵ひとつ起こさない。この念が動かないところから一点を下ろす。これを混沌開基(混沌から基を開く)という。そこから一筆で書き上げ、少しも思慮を交えなければ、その護符は霊験をもつ。およそ天に祈って運命を立てるには、すべて思いも慮りもないところから天を感動させなければならない。孟子は立命の学を論じて『短命か長寿かで心を二つにしない』と言った。そもそも短命と長寿は、最も隔たったものだ。だが念を動かさないとき、どれが短命でどれが長寿だろうか。細かく分ければ、豊作と凶作で心を二つにしないで、はじめて貧富の命を立てられる。困窮と栄達で心を二つにしないで、はじめて貴賤の命を立てられる。短命と長寿で心を二つにしないで、はじめて生死の命を立てられる。人がこの世に生きるうえで、生死ほど重いものはない。だから短命と長寿と言えば、すべての順境と逆境がそこに含まれるのだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『了凡四訓』立命之學・身を修めて以て之を俟つ「身を修めて以て之を俟つに至りては、乃ち德を積みて天に祈るの事なり。『修』と曰へば、則ち身に過惡有れば、皆な當に治めて之を去るべし。『俟』と曰へば、則ち一毫の覬覦、一毫の將迎も、皆な當に之を斬絕すべし。此の地位に到れば、直ちに先天の境に造る。即ち此れ便ち是れ實學なり。 「汝未だ無心なる能はずんば、但だ能く準提咒を持し、記する無く數ふる無く、間斷せしめざれ。持して純熟を得れば、持する中に於いて持せず、持せざる中に於いて持す。念頭動かざるに到り得れば、則ち靈驗あらん」と。
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『了凡四訓』立命之學・進退に命有り、遲速に時有り余、此れに因りて益々進退に命有り、遲速に時有るを信じ、澹然として求むる無し。 貢して燕都に入り、京に留まること一年、終日靜坐して、文字を閲せず。己巳に歸り、南雍に游ぶ。未だ監に入らざるに、先づ雲谷會禪師を棲霞山中に訪ひ、一室に對坐すること、凡そ三晝夜目を瞑せず。 雲谷問ひて曰く「凡そ人の聖と作るを得ざる所以の者は、只だ妄念の相纏ふが為のみ。汝坐すること三日、一妄念を起こすを見ず。何ぞや」と。 余曰く「吾、孔先生に算定せられ、榮辱生死、皆な定數有り。即ひ妄想せんと要すとも、亦た妄想すべき無し」と。
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『了凡四訓』立命之學・命は我より作し、福は己より求む雲谷笑ひて曰く「我、汝を待つに豪傑を以てす。原來只だ是れ凡夫なり」と。 其の故を問ふ。曰く「人未だ無心なる能はざれば、終に陰陽の縛する所と為る。安んぞ數無きを得ん。但だ惟だ凡人のみ數有り。極善の人は、數固より他を拘へ定めず。極惡の人も、數亦た他を拘へ定めず。汝二十年來、他に算定せられて、曾て一毫も轉動せず。豈に凡夫に非ずや」と。 余問ひて曰く「然らば則ち數は逃るべきか」と。曰く「『命は我より作し、福は己より求む。』詩書の稱する所、的に明訓たり。我が教典の中に說く『富貴を求むれば富貴を得、男女を求むれば男女を得、長壽を求むれば長壽を得』と。夫れ妄語は乃ち釋迦の大戒なり。諸佛菩薩、豈に誑語して人を欺かんや」と。
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『了凡四訓』立命之學・禍福は自己より之を求む師曰く「善心真切なれば、即ち一行も萬善に當るべし。況んや合縣の減糧、萬民の福を受くるをや」と。吾、即ち俸銀を捐て、其れに請ひて五臺山に就きて僧一萬を齋して之を回向せしむ。 孔公、予を算して五十三歲に厄有りとす。余、未だ嘗て壽を祈らず。是の歲竟に恙無く、今六十九なり。書に曰く「天は諶とし難く、命は常靡し」と。又た云ふ「惟れ命は常に於いてせず」と。皆な誑語に非ず。吾、是に於いて知る、凡そ禍福は自己より之を求むと稱する者は、乃ち聖賢の言なり。若し禍福は惟だ天の命ずる所と謂はば、則ち世俗の論なり。
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『了凡四訓』謙德之效・命を造る者は天、命を立つる者は我道者曰く、中るは全く命を要す。命中るに該らざれば、文工なりと雖も、益無きなり。須らく自己個の轉變を做すべし、と。張曰く、既に是れ命ならば、如何ぞ轉變せん、と。道者曰く、命を造る者は天、命を立つる者は我。力めて善事を行ひ、廣く陰德を積まば、何の福か求むべからざらんや、と。張曰く、我は貧士なり、何をか能く為さん、と。道者曰く、善事陰功は、皆な心より造る。常に此の心を存せば、功德量り無し。且つ謙虛の一節の如きは、並びに錢を費やさず。你如何ぞ自ら反みずして試官を罵るや、と。
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『了凡四訓』立命之學・常に落寞の想を作す汝の命、未だ若何を知らず。即ひ命當に榮顯なるべくとも、常に落寞の想を作せ。即ひ時當に順利なるべくとも、當に拂逆の想を作すべし。即ひ眼前食足るとも、常に貧窶の想を作せ。即ひ人相愛敬すとも、常に恐懼の想を作せ。即ひ家世望重くとも、常に卑下の想を作せ。即ひ學問頗る優るとも、常に淺陋の想を作せ。 遠くは祖宗の德を揚げんことを思ひ、近くは父母の愆を蓋はんことを思ふ。上は國の恩に報いんことを思ひ、下は家の福を造らんことを思ふ。外は人の急を濟はんことを思ひ、內は己の邪を閑がんことを思ふ。