了凡四訓 / 立命之學・天は材に因りて篤くす
雲谷曰:「豈惟科第哉?世間享千金之產者,定是千金人物;享百金之產者,定是百金人物;應餓死者,定是餓死人物;天不過因材而篤,幾曾加纖毫意思? 「即如生子,有百世之德者,定有百世子孫保之;有十世之德者,定有十世子孫保之;有三世二世之德者,定有三世二世子孫保之;其斬焉無後者,德至薄也。
新字:雲谷曰:「豈惟科第哉?世間享千金之産者,定是千金人物;享百金之産者,定是百金人物;応餓死者,定是餓死人物;天不過因材而篤,幾曽加繊毫意思? 「即如生子,有百世之徳者,定有百世子孫保之;有十世之徳者,定有十世子孫保之;有三世二世之徳者,定有三世二世子孫保之;其斬焉無後者,徳至薄也。
書き下し
雲谷曰く「豈に惟だ科第のみならんや。世間に千金の產を享くる者は、定めて是れ千金の人物なり。百金の產を享くる者は、定めて是れ百金の人物なり。應に餓死すべき者は、定めて是れ餓死の人物なり。天は材に因りて篤くするに過ぎず。幾ぞ曾て纖毫の意思を加へんや。 「即ち子を生むが如きも、百世の德有る者は、定めて百世の子孫の之を保つ有り。十世の德有る者は、定めて十世の子孫の之を保つ有り。三世二世の德有る者は、定めて三世二世の子孫の之を保つ有り。其の斬焉として後無き者は、德至りて薄きなり。
現代語訳
雲谷禅師は言いました。「科挙だけのことではない。世の中で千金の財産を持つ者は、きっと千金にふさわしい人物だ。百金の財産を持つ者は、きっと百金にふさわしい人物だ。餓死するはずの者は、きっと餓死するような人物だ。天はその人の素質に応じて厚くするだけで、少しでも私意を加えたことなどあろうか。子を授かることも同じだ。百代にわたる徳のある者には、きっと百代の子孫がいて家を守る。十代の徳のある者には十代の子孫が、三代・二代の徳のある者には三代・二代の子孫がいて家を守る。ぷっつりと跡継ぎが絶える者は、徳がきわめて薄いのだ。
解説
雲谷禅師が、財産や子孫の多寡はその人の徳の大きさに見合っていると説く段です。「天は材に因りて篤くす」は、『中庸』の「天の物を生ずる、必ず其の材に因りて篤くす」を踏まえています。天は好き嫌いで人を扱わず、その人の器に応じて与えるだけだ、というのです。徳の厚さが子孫の代数になるという話は、家の存続を重んじた当時の考え方の中にあります。今日そのまま受け取る必要はありませんが、手にしているものは自分の器に見合っている、という見方は厳しくも公平です。結果を嘆くより器を広げよと、禅師は次の段で具体的な改め方を示していきます。
この章句が説くこと
積善因果徳器量子孫
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