了凡四訓 / 立命之學・余遂に書を讀むの念を起こす
余童年喪父,老母命棄舉業學醫,謂可以養生,可以濟人;且習一藝以成名,爾父夙心也。 後余在慈雲寺,遇一老者,修髯偉貌,飄飄若仙,余敬禮之。語余曰:「子仕路中人也。明年即進學,何不讀書?」余告以故,並叩老者姓氏里居。曰:「吾姓孔,雲南人也。得邵子《皇極數》正傳,數該傳汝。」余引之歸,告母。母曰:「善待之。」試其數,纖悉皆驗。余遂起讀書之念,謀之表兄沈稱,言:「郁海谷先生,在沈友夫家開館,我送汝寄學甚便。」余遂禮郁為師。
新字:余童年喪父,老母命棄舉業学医,謂可以養生,可以済人;且習一芸以成名,爾父夙心也。 後余在慈雲寺,遇一老者,修髯偉貌,飄飄若仙,余敬礼之。語余曰:「子仕路中人也。明年即進学,何不読書?」余告以故,並叩老者姓氏里居。曰:「吾姓孔,雲南人也。得邵子《皇極数》正伝,数該伝汝。」余引之帰,告母。母曰:「善待之。」試其数,繊悉皆験。余遂起読書之念,謀之表兄沈称,言:「郁海谷先生,在沈友夫家開館,我送汝寄学甚便。」余遂礼郁為師。
書き下し
余、童年にして父を喪ふ。老母、舉業を棄てて醫を學ばしめ、謂へらく、以て生を養ふべく、以て人を濟ふべし。且つ一藝を習ひて以て名を成すは、爾の父の夙心なり、と。 後、余、慈雲寺に在りて、一老者に遇ふ。修髯偉貌、飄飄として仙の若し。余、之を敬禮す。余に語りて曰く「子は仕路中の人なり。明年即ち進學せん。何ぞ書を讀まざる」と。余、告ぐるに故を以てし、並びに老者の姓氏里居を叩く。曰く「吾は姓は孔、雲南の人なり。邵子の『皇極數』の正傳を得たり。數、該に汝に傳ふべし」と。余、之を引きて歸り、母に告ぐ。母曰く「善く之を待せよ」と。其の數を試むるに、纖悉皆な驗あり。余、遂に書を讀むの念を起こし、之を表兄沈稱に謀る。言ふ「郁海谷先生、沈友夫の家に在りて館を開く。我、汝を送りて寄學せしむれば甚だ便なり」と。余、遂に郁を禮して師と為す。
現代語訳
私は幼いころに父を亡くしました。老いた母は私に科挙の受験勉強をやめさせて医学を学ばせ、こう言いました。「医術は生活の糧になり、人を救うこともできる。それに一つの技芸を身につけて名を成すのは、あなたの父の昔からの願いだったのです」。その後、私が慈雲寺にいたとき、一人の老人に出会いました。長いひげに堂々とした風貌で、飄々として仙人のようでした。私が敬って礼をすると、老人は私に言いました。「あなたは仕官の道を歩む人です。来年には県学に入れるでしょう(進学=生員になること)。どうして書物を読まないのですか」。私はわけを話し、あわせて老人の姓名と郷里を尋ねました。老人は「私は姓を孔といい、雲南の者です。邵子(北宋の邵雍)の『皇極数』の正統な伝授を受けています。この術数は、あなたに伝えるべきものです」と答えました。私は老人を家に連れて帰り、母に話しました。母は「手厚くもてなしなさい」と言いました。その術数を試してみると、細かなことまで全部当たりました。私はついに書物を読もうという思いを起こし、いとこの沈称に相談しました。沈称は「郁海谷先生が沈友夫の家で塾を開いています。私があなたを送って寄宿して学ばせれば、とても都合がよいでしょう」と言いました。私はそこで郁先生を礼をもって師としました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『了凡四訓』立命之學・終身の休咎を卜す孔、余が為に數を起こす。「縣考の童生は、當に十四名なるべし。府考は七十一名、提學考は第九名」と。明年考に赴くに、三處の名數皆な合ふ。 復た為に終身の休咎を卜して、言ふ「某年は考へて第幾名、某年は當に廩に補せらるべし、某年は當に貢せらるべし。貢の後某年、當に四川の一大尹に選ばるべし。任に在ること三年半にして、即ち宜しく告歸すべし。五十三歲八月十四日丑の時、當に正寢に終るべし。惜しいかな子無し」と。余、備に錄して謹みて之を記す。
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『了凡四訓』立命之學・進退に命有り、遲速に時有り余、此れに因りて益々進退に命有り、遲速に時有るを信じ、澹然として求むる無し。 貢して燕都に入り、京に留まること一年、終日靜坐して、文字を閲せず。己巳に歸り、南雍に游ぶ。未だ監に入らざるに、先づ雲谷會禪師を棲霞山中に訪ひ、一室に對坐すること、凡そ三晝夜目を瞑せず。 雲谷問ひて曰く「凡そ人の聖と作るを得ざる所以の者は、只だ妄念の相纏ふが為のみ。汝坐すること三日、一妄念を起こすを見ず。何ぞや」と。 余曰く「吾、孔先生に算定せられ、榮辱生死、皆な定數有り。即ひ妄想せんと要すとも、亦た妄想すべき無し」と。
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『了凡四訓』立命之學・實に九十一石五斗なり此れより以後、凡そ考校に遇ふごとに、其の名數の先後、皆な孔公の懸定する所を出でず。獨り余が廩米九十一石五斗を食みて當に出貢すべしと算す。米七十餘石を食むに及びて、屠宗師即ち補貢を批准す。余、竊かに之を疑ふ。 後果して署印の楊公の駁する所と為る。直ちに丁卯の年に至りて、殷秋溟宗師、余が場中の備卷を見て、歎じて曰く「五策は、即ち五篇の奏議なり。豈に博洽淹貫の儒をして、窗下に老いしむべけんや」と。遂に縣の申文に依りて貢を准す。前の食米を連ねて之を計ふるに、實に九十一石五斗なり。
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『了凡四訓』立命之學・積善の家には必ず餘慶有り「易は君子の為に謀り、吉に趨き凶を避く。若し天命常有りと言はば、吉何ぞ趨くべけん。凶何ぞ避くべけん。開章第一義に、便ち說く『積善の家には、必ず餘慶有り』と。汝信じ得るや否や」と。 余、其の言を信じ、拜して教へを受く。因りて往日の罪を將て、佛前に盡情に發露し、疏一通を為り、先づ登科を求む。誓ひて善事三千條を行ひ、以て天地祖宗の德に報いんとす。 雲谷、功過格を出だして余に示し、行ふ所の事を、日を逐ひて登記せしむ。善は則ち數を記し、惡は則ち退除す。且つ準提咒を持することを教へ、以て必ず驗あらんことを期す。
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『了凡四訓』立命之學・號を改めて了凡と曰ふ余、初め學海と號す。是の日號を改めて了凡とす。蓋し立命の說を悟りて、凡夫の窠臼に落つるを欲せざるなり。此れより而後、終日兢兢として、便ち前と同じからざるを覺ゆ。前日は只だ是れ悠悠として放任し、此に到りて自ら戰兢惕厲の景象有り。暗室屋漏の中に在りても、常に罪を天地鬼神に得んことを恐る。人の我を憎み、我を毀るに遇へば、自ら能く恬然として容受す。 明年に到りて禮部に科舉を考す。孔先生の算は第三に該るに、忽ち第一に考す。其の言驗あらずして、秋闈に中式す。
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『了凡四訓』立命之學・余は福薄し因りて問ふ「孔公、汝の終身を算すること若何」と。余、實を以て告ぐ。雲谷曰く「汝自ら揣るに、應に科第を得べきや否や。應に子を生むべきや否や」と。 余、追省すること良久しくして、曰く「應ぜざるなり。科第中の人は、類ね福相有り。余は福薄く、又た功を積み行を累ねて、以て厚福を基する能はず。兼ねて煩劇に耐へず、人を容るる能はず。時に或いは才智を以て人を蓋ひ、直心直行、輕言妄談す。凡そ此れ皆な薄福の相なり。豈に科第に宜しからんや。