論語 / 子張篇
子游曰:「喪致乎哀而止。」
書き下し
子游曰く、喪は哀を致して止む。
現代語訳
子游が言った。「喪は、哀しみを尽くしたところで止める。」
解説
喪の本体は哀しみであり、それを尽くしたら終わりでよい、という主張である。八佾篇で孔子が、喪は手際よく整えるより悲しみに沈むほうがよいと言ったのと同じ立場だ。ただし子游は、そこに止めるという条件を加えている。哀しみを尽くすことと、いつまでも引きずることは違う。この線引きは実際的である。儀礼は長引かせようと思えばいくらでも長引かせられる。周囲への配慮、体裁、前例。どれも延長の理由になる。だが本体が尽きた後の延長は、形式だけが残る。組織の行事でも同じことが言える。目的が果たされた時点で終える判断は、続けるより難しい。続けるのは惰性で足りるが、終えるには誰かが決めなければならない。致乎哀而止という短い一句は、その決断を促している。