論語 / 子張篇
子夏曰:「君子信而後勞其民,未信則以爲厲己也。信而後諫,未信則以爲謗己也。」
新字:子夏曰:「君子信而後労其民,未信則以為厲己也。信而後諫,未信則以為謗己也。」
書き下し
子夏曰く、君子は信ぜられて而る後に其の民を労す。未だ信ぜられざれば則ち以て己を厲ましむと為すなり。信ぜられて而る後に諫む。未だ信ぜられざれば則ち以て己を謗ると為すなり。
現代語訳
子夏が言った。「君子は信頼されてから民を働かせる。まだ信頼されていなければ、自分たちを苦しめていると受け取られる。信頼されてから諌める。まだ信頼されていなければ、自分をそしっていると受け取られる。」
解説
信頼が先で、行動が後だという順序を、二つの場面で示している。人を働かせることと、上を諌めること。方向は逆だが、どちらも信頼が前提になる。同じ言葉、同じ指示でも、信頼の有無で受け取られ方が正反対になるからだ。これは実務でよく経験することだ。着任早々に改革を進めれば、内容が正しくても反発される。信頼されていない人の正論は、攻撃として受け取られる。だから順序を守る必要がある。信頼を得るまでは、大きなことをしない。焦る気持ちは分かるが、順序を飛ばした施策は、内容にかかわらず失敗する。しかも一度反発を買うと、信頼を得る作業自体が難しくなる。何をするかより先に、いま信頼されているかを確かめる。
この章句が説くこと
信頼順序諫言着任反発
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