葉隠 / 聞書第十一
忠節の事。御心入直し、御國家を堅め申すが大忠節なり。一番乘・一番槍などは命を捨てゝかゝるまでなり。其の場ばかりの仕事なり。御心入を直し候事は、命を捨てゝもならず、一生骨を折る事なり。先づ諸朋輩も請取り、主君も御請取り候ものになりて、御心安く御懇意を請け、年寄・家老役に成されたる上にてなければ、諫め申す事叶はず。此の間の苦勞量り難き事なり。我が爲の私慾の立身さへ骨折ることなり。これは主君の御爲ばかりに立身する事なれば、中々精氣續き難き事なり。然れども此の當りに眼を着けずしては、忠臣とはいふべからず。
新字:忠節の事。御心入直し、御国家を堅め申すが大忠節なり。一番乗・一番槍などは命を捨てゝかゝるまでなり。其の場ばかりの仕事なり。御心入を直し候事は、命を捨てゝもならず、一生骨を折る事なり。先づ諸朋輩も請取り、主君も御請取り候ものになりて、御心安く御懇意を請け、年寄・家老役に成されたる上にてなければ、諫め申す事叶はず。此の間の苦労量り難き事なり。我が為の私慾の立身さへ骨折ることなり。これは主君の御為ばかりに立身する事なれば、中々精気続き難き事なり。然れども此の当りに眼を着けずしては、忠臣とはいふべからず。
書き下し
忠節の事。御心入(おこころいれ)を直し、御国家を堅め申すが大忠節なり。一番乗(いちばんの)り・一番槍(いちばんやり)などは命を捨てて掛かるまでなり。その場ばかりの仕事なり。御心入を直し候事は、命を捨ててもならず、一生骨を折る事なり。まず諸朋輩(しょほうばい)も請け取り、主君も御請け取り候ものになりて、御心安く御懇意(ごこんい)を請け、年寄・家老役に成されたる上にてなければ、諫(いさ)め申す事叶はず。この間の苦労量り難き事なり。我が為の私慾(しよく)の立身さへ骨折ることなり。これは主君の御為ばかりに立身する事なれば、なかなか精気続き難き事なり。しかれどもこの当りに眼を着けずしては、忠臣とはいうべからず。
現代語訳
忠節とはこういうことだ。主君の心得違いを正し、御家を堅固にするのが最大の忠節である。一番乗り・一番槍などは、命を捨てて突っ込めば済む、その場かぎりの働きにすぎない。だが主君の心を正すことは、命を捨てても果たせず、一生をかけて骨を折る仕事だ。まず同僚たちに認められ、主君からも信任され、心を許して親しく召し使われ、年寄・家老の役に就いたうえでなければ、諫めることもできない。そこに至るまでの苦労は計り知れない。自分の欲のための出世でさえ骨が折れるのに、これはひたすら主君のためだけの出世だから、なかなか気力が続かない。しかしここに目を着けなければ、真の忠臣とは言えないのである。
解説
この章句が説くこと
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尚書・皐陶謨予(われ)違(たが)わば、汝(なんじ)弼(たす)けよ。汝、面従(めんじゅう)することなく、退(しりぞ)きて後言(こうげん)あることなかれ。
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論語・子張篇子夏曰く、君子は信ぜられて而る後に其の民を労す。未だ信ぜられざれば則ち以て己を厲ましむと為すなり。信ぜられて而る後に諫む。未だ信ぜられざれば則ち以て己を謗ると為すなり。
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葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。
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葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。