論語 / 子張篇
子夏曰:「博學而篤志,切問而近思,仁在其中矣。」
新字:子夏曰:「博学而篤志,切問而近思,仁在其中矣。」
書き下し
子夏曰く、博く学びて篤く志し、切に問いて近く思わば、仁は其の中に在り。
現代語訳
子夏が言った。「広く学んで志を篤く持ち、切実に問うて身近なところで考える。仁はその中にある。」
解説
四つの動作が挙げられている。博学、篤志、切問、近思。広く学び、志を篤くし、切実に問い、身近に考える。とくに後半の二つが要点だ。切問は、他人事の質問ではなく、自分にとって切実な問いを立てること。近思は、遠大なことを論じるのではなく、手の届く範囲で考えること。この二つがあると、学びが自分の問題に接続する。仁はその中にある、という結びも興味深い。仁を目指して修行するのではなく、この四つをやっていれば結果として仁が生じる、という言い方である。徳を直接の目標にしない。目標にできるのは、学ぶ、志す、問う、考えるという具体的な動作だけである。日々やることが決まっていて、徳はその副産物として現れる。実行可能性の高い設計になっている。
この章句が説くこと
博学篤志切問近思仁実行子夏
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