論語 / 陽貨篇
子曰:「予欲無言!」子貢曰:「子如不言,則小子何述焉?」子曰:「天何言哉?四時行焉,百物生焉,天何言哉?」
書き下し
子曰く、「予言うこと無からんと欲す。」子貢曰く、「子如し言わずんば、則ち小子何をか述べん。」子曰く、「天何をか言うや。四時行われ、百物生ず。天何をか言うや。」
現代語訳
先生がおっしゃった。「私はもう何も言わないでおこうと思う。」子貢が言った。「先生がもし何もおっしゃらなければ、私たちは何を(伝え)述べればよいのでしょうか。」先生がおっしゃった。「天が何か言うだろうか。四季はめぐり、あらゆるものは生まれ育っている。天が何か言うだろうか。」
解説
言葉で教えることへの疑いが表明されている。天は何も言わないが、四季は巡り、万物は生じる。言葉なしに秩序が働いている、という指摘である。孔子は生涯を言葉による教育に費やした人だ。その人が、言葉を捨てたいと言う。晩年の到達点かもしれないし、伝わらなさへの疲れかもしれない。子貢の反応が現実的で、では何を伝えればよいのかと困っている。教えを受け継ぐ側にとって、言葉は不可欠だからだ。この対話には、教える側と受け取る側の非対称がそのまま出ている。教える側は、言葉が本質を伝えきれないことを知っている。受け取る側は、言葉しか手がかりが無い。上に立つ人が言葉を減らすと、下は方針を見失う。背中で示すことには限界がある。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
無言天教育非対称子貢
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『後世への最大遺物』第二回・一俵の米は百万の価値があったこうして初めて一俵の米を取った。その人の自伝によりますれば、「米を一俵取ったときの私の喜びは何ともいえなかった。これ天が初めて私に直接に授けたものにして、その一俵は私にとっては百万の価値があった」というてある。それからその方法をだんだん続けまして、二十歳のときに伯父さんの家を辞した。そのときには三、四俵の米を持っておった。それから仕上げた人であります。それでこの人の生涯を初めから終りまで見ますと、「この宇宙というものは実に、天の造ってくださったもので、天というものは実に恩恵の深いもので、人間を助けよう助けようとばかり思っている。それだから、もしわれわれがこの身を天と地とに委ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天がわれわれを助けてくれる」という、こういう考えであります。
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『慎思録』巻之四天は地を統ぶ。地の内外も亦た是れ天気の貫通流行する所なり。故に偏へに天を言へば、則ち地其の中に在り。天地の道を謂ひて、之を天道に統ぶ。之を称して天道と為すは、猶ほ聖人の道、君子の道と言ふがごとし。其の在る所を以て之に名づくるのみ。其の実は天も亦た道中の一物のみ。道は天に在りて主宰と為る。故に曰く、天は即ち理なり、と。天地生じて、而る後に道天地に在り。故に天地は道の形体なり。陰陽は道の動静なり。道は形体に非ざれば、則ち寓する所無し。動静に非ざれば、則ち変化を致し、四時を行ひ、万物を生ずること能はず。陰陽の変化を致して、四時行はれ百物生ずる所以の者は、道を以て之が主と為すなり。故に道の外に陰陽有るに非ざるなり。
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