論語 / 季氏篇
孔子曰:「生而知之者,上也;學而知之者,次也;困而學之,又其次也。困而不學,民斯爲下矣!」
新字:孔子曰:「生而知之者,上也;学而知之者,次也;困而学之,又其次也。困而不学,民斯為下矣!」
書き下し
孔子曰く、生まれながらにして之を知る者は、上なり。学びて之を知る者は、次なり。困みて之を学ぶは、又其の次なり。困みて学ばざる、民斯れを下と為す。
現代語訳
孔子がおっしゃった。「生まれながらにして知っている者は、上等である。学んで知る者は、その次である。行き詰まってから学ぶ者は、さらにその次である。行き詰まっても学ばない者は、最も下である。」
解説
四段階の序列だが、注目すべきは第三と第四の差である。行き詰まってから学ぶ人と、行き詰まっても学ばない人。この差は、資質ではなく選択である。上の二段階は生まれつきや環境に左右されるが、三段目と四段目を分けるのは、困ったときにどうするかという一点だけだ。誰でも三段目には入れる。孔子が四段階に分けたのは、序列をつけるためというより、最低限の線を示すためだろう。困ったときに学ぶ。それすらしないなら、もう手立てが無い。実務でも、この線は見える。失敗した後に調べる人と、失敗しても同じやり方を続ける人。前者は遅くても改善するが、後者は同じ失敗を繰り返す。行き詰まりは誰にでも訪れる。訪れた後の行動だけが選べる。
この章句が説くこと
四段階学び困選択最低線
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