論語 / 憲問篇
子路問君子。子曰:「脩己以敬。」曰:「如斯而已乎?」曰:「脩己以安人。」曰:「如斯而已乎?」曰:「脩己以安百姓。脩己以安百姓,堯舜其猶病諸!」
書き下し
子路、君子を問う。子曰く、「己を脩めて以て敬す。」曰く、「斯くの如きのみか。」曰く、「己を脩めて以て人を安んず。」曰く、「斯くの如きのみか。」曰く、「己を脩めて以て百姓を安んず。己を脩めて以て百姓を安んずるは、堯舜も其れ猶お諸を病めり。」
現代語訳
子路が君子(立派な人物)とはどういうものかをお尋ねした。先生がおっしゃった。「自分を修めて、つつしみ深くすることだ。」(子路が)言った。「それだけでしょうか。」(先生が)おっしゃった。「自分を修めて、周りの人を安心させることだ。」(子路が)言った。「それだけでしょうか。」(先生が)おっしゃった。「自分を修めて、すべての民を安心させることだ。自分を修めてすべての民を安心させることは、堯や舜でさえ、なお難しいと悩まれたのだ。」
解説
三段階すべての主語が、脩己で始まっている。慎み深くあるのも、周囲を安んじるのも、万民を安んじるのも、出発点は自分を修めることだ。範囲だけが広がっていく構造になっている。子路は二度も「それだけですか」と食い下がった。もっと大きな何かがあるはずだと思っている。孔子は範囲を広げて答えたが、根は変えなかった。ここに、この章の要点がある。到達点が大きくなっても、やることは変わらない。別の方法に切り替えるのではなく、同じことを続けた先に範囲が広がる。しかも最後に、堯舜でさえ苦心したと付け加えた。終わりのない道だという確認である。何か特別な方法を探している人にとって、この答えは失望であり、同時に救いでもある。
この章句が説くこと
脩己範囲君子一貫子路
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『翁問答』下卷之本聖人の才徳天地神明とおなじき故に、神明不測広大周備、言語道断なり、賢人の才徳も大かた聖人の体段そなはりぬれども、神明不測の位にいたらず、英雄は大将の才徳は賢人と同じけれども、余の才と徳とは賢人より一位おとりて英雄のかどあるなり、聖人賢人英雄この三人は、才徳の高下大小ありと雖、いづれも君子なれば治世にも乱世にも天下無双の重宝なる人なり、奸雄は敵を退治する一科の用に立つ事は賢人英雄にもおとらねども、明徳くらく邪欲ふかき故、むほん逆心の疑ひありて、味方のたのみあやうし、さて国治まりて仕置などまかせぬれば国をみだり、乱をおこすものなり、
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