孔子家語 / 屈節解
子路問於孔子曰:「由聞丈夫居世,富貴不能有益於物,處貧賤之地,而不能屈節以求伸,則不足以論乎人之域矣。」孔子曰:「君子之行己,期於必達於己。可以屈則屈,可以伸則伸。故屈節者,所以有待;求伸者,所以及時。是以雖受屈而不毀其節,志達而不犯於義。」
新字:子路問於孔子曰:「由聞丈夫居世,富貴不能有益於物,処貧賤之地,而不能屈節以求伸,則不足以論乎人之域矣。」孔子曰:「君子之行己,期於必達於己。可以屈則屈,可以伸則伸。故屈節者,所以有待;求伸者,所以及時。是以雖受屈而不毀其節,志達而不犯於義。」
書き下し
子路孔子に問いて曰く、「由聞く、丈夫世に居りて、富貴にして物に益有る能わず、貧賤の地に處りて、節を屈して以て伸を求むる能わざれば、則ち以て人の域を論ずるに足らずと。」孔子曰く、「君子の己を行うや、必ず己に達するを期す。屈すべければ則ち屈し、伸ぶべければ則ち伸ぶ。故に節を屈する者は、待つ有る所以なり。伸を求むる者は、時に及ぶ所以なり。是を以て屈を受くと雖も其の節を毀たず、志達すれども義を犯さず。」
現代語訳
子路が孔子に尋ねた。「私(由)はこう聞いています。一人前の男子として世に生きるからには、富貴な身であっても人々の役に立てなければ、また貧しく低い身分にいても節を曲げて活路を開くことができなければ、それでは立派な人物のうちには入らない、と。」孔子は答えた。「君子が身を処するときは、必ず自分の本志を貫き通すことを目指す。曲げるべきときには曲げ、伸ばすべきときには伸ばす。だから節を曲げるというのは、時機を待つためであり、活路を求めるというのは、時機をとらえるためである。それゆえ、たとえ一時的に屈することがあっても、その根本の節操を損なうことはなく、志を遂げても道義に背くことはないのだ。」
解説

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