論語 / 子路篇
子曰:「南人有言曰:『人而無恆,不可以作巫醫。』善夫!」「不恆其德,或承之羞。」子曰:「不占而已矣。」
新字:子曰:「南人有言曰:『人而無恒,不可以作巫医。』善夫!」「不恒其徳,或承之羞。」子曰:「不占而已矣。」
書き下し
子曰く、「南人言えること有り、曰く、『人にして恒無くんば、以て巫医と作る可からず』と。善いかな。」「其の徳を恒にせざれば、或いは之が羞を承く。」子曰く、「占わざるのみ。」
現代語訳
先生がおっしゃった。「南方の人に『人として一定した心がなければ、巫女や医者にさえなれない』という言葉がある。よい言葉だなあ。」(『易経』に)「その徳を一定に保たなければ、恥を受けることになるかもしれない」とある。先生がおっしゃった。「(そういう人は)占うまでもないだけだ。」
解説
恒、つまり変わらず持続する心が主題である。巫医という例が具体的でよい。祈祷師も医者も、人の生死に関わる仕事であり、日によって態度が変わる人には任せられない。恒常心は才能ではなく、信頼の前提条件だという指摘である。最後の一句が鋭い。恒常心の無い人がどうなるかは、占うまでもない。易の言葉を引きながら、占いに頼る必要すら無いと言い切った。結果が見えているからである。仕事の現場でも、この見立ては使える。同じ人に同じことを頼んで、返ってくる水準が毎回違うなら、その人には重い仕事を任せられない。能力の高さより、ばらつきの少なさのほうが、任せる判断では重く効く。恒とは、才能の平均値ではなく分散の小ささである。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
恒持続信頼ばらつき巫医
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