論語 / 子路篇
樊遲問仁。子曰:「居處恭,執事敬,與人忠。雖之夷狄,不可棄也。」
新字:樊遅問仁。子曰:「居処恭,執事敬,与人忠。雖之夷狄,不可棄也。」
書き下し
樊遅、仁を問う。子曰く、「居処には恭、事を執りては敬、人と与わりては忠。夷狄に之くと雖も、棄つ可からざるなり。」
現代語訳
樊遅が仁についてお尋ねした。先生がおっしゃった。「ふだんの生活ではうやうやしく、仕事をするときは慎み深く、人と交わるときはまごころを尽くす。たとえ夷狄(異民族)の地に行っても、これを捨ててはならない。」
解説
仁を三つの場面に分けて示している。日常、仕事、対人。それぞれに恭、敬、忠を割り当てた。抽象的な徳を、生活の三区分に落とし込む手際が鮮やかである。そして最後の一句が効いている。夷狄に行っても捨てるな。つまり、周囲が誰も守っていない場所でも守れ、ということだ。この付言があるかないかで、教えの強度がまるで違う。同じ価値観を持つ集団の中で徳目を守るのは容易である。全員が守っているから、守らないほうが目立つ。難しいのは、誰も守っていない場所で一人だけ守ることだ。効果は見えず、むしろ損をする。それでも捨てるなと言う。徳目を環境依存にしないという宣言であり、この一句によって三つの徳が本物になる。
この章句が説くこと
仁恭敬忠環境非依存一貫性樊遅
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