論語 / 子路篇
子曰:「苟正其身矣,於從政乎何有?不能正其身,如正人何?」
新字:子曰:「苟正其身矣,於従政乎何有?不能正其身,如正人何?」
書き下し
子曰く、苟くも其の身を正しくせば、政に従うに於いて何か有らん。其の身を正しくする能わずんば、人を正しくするを如何せん。
現代語訳
先生がおっしゃった。「もし自分の身を正しくできるなら、政治を執るのに何の難しさがあろうか。自分の身を正しくできないなら、人を正しくすることなどどうしてできようか。」
解説
この篇に繰り返し現れる主題である。自分を正すことが先で、人を正すのは後。しかも前半では、自分を正せるなら政治は難しくないとまで言っている。統治の技術より、自己の一貫性のほうが根本だという立場だ。実務の現場では、この順序が逆になりやすい。人を動かす技術、伝え方、仕組み。そちらのほうが学べる形をしているので、手をつけやすい。自分を正すのは学習ではなく、日々の選択の積み重ねなので、教材にならない。だが、技術で補える範囲には限りがある。言っていることと自分の振る舞いが食い違っていれば、どんな伝え方も効かない。人が言葉ではなく振る舞いを見ているという前提に立てば、この順序は当然の結論になる。
この章句が説くこと
正身順序統率一貫性自己
関連する章句
-
尚書・咸有一德徳は惟れ一なれば、動くとして吉ならざる罔く、徳二三なれば、動くとして凶ならざる罔し。
-
『韓非子』外儲説右下第三十五夫れ賞は之を勸むる所以なるに、而も毀存し、罰は之を禁ずる所以なるに、而も譽れ加わる。民中立して由る所知らず。
-
論語・雍也篇季氏、閔子騫をして費の宰たらしむ。閔子騫曰く、「善く我が為に辞せよ。如し我を復たびする者有らば、則ち吾必ず汶の上に在らん。」
-
老子・第10章営魄を載せて一を抱く、能く離るること無からんか。気を専らにして柔を致す、能く嬰児ならんか。玄覧を滌除す、能く疵無からんか。民を愛し国を治む、能く無為ならんか。天門開闔す、能く雌たらんか。明白四達す、能く無知ならんか。之を生じ之を畜い、生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず。是を玄徳と謂う。
-
『韓非子』南面第十八信ぜざる者に罪有り、事に功有る者を賞せざれば、則ち群臣敢えて言を飾りて以て主を惽くらます莫し。主道は、人臣をして、前言後に復せず、後言前に復せざらしめ、事に功有りと雖も、必ず其の罪に伏せしむ。之を任下と謂う。
-
尚書・畢命政は恒有るを貴び、辭は體要を尚び、惟れ異を好むのみに非ず。