論語 / 顔淵篇
子張問「崇德,辨惑。」子曰:「主忠信,徙義:崇德也。愛之欲其生,惡之欲其死;既欲其生,又欲其死:是惑也。」誠不以富,亦祇以異。
新字:子張問「崇徳,弁惑。」子曰:「主忠信,徙義:崇徳也。愛之欲其生,悪之欲其死;既欲其生,又欲其死:是惑也。」誠不以富,亦祇以異。
書き下し
子張、徳を崇くし、惑いを辨ずるを問う。子曰く、「忠信を主とし、義に徙るは、徳を崇くするなり。之を愛しては其の生を欲し、之を悪みては其の死を欲す。既に其の生を欲し、又其の死を欲するは、是れ惑いなり。」誠に富を以てせず、亦た祇だ異を以てす。
現代語訳
子張が、徳を高め惑いを見分ける方法について尋ねた。先生はおっしゃった。「真心と誠実を第一とし、義のあるほうへ移っていく。それが徳を高めることだ。ある人を愛しては生きてほしいと願い、憎んでは死んでほしいと願う。同じ相手に対して、生きてほしいと願いながら死んでほしいとも願う。これが惑いである。」詩に言う、まことに富によるのではない、ただ異なるということによるのだ、と。
解説
惑いの定義が具体的である。同じ相手に対して、正反対の願いを抱くこと。愛していたときは生を願い、憎むようになると死を願う。相手は変わっていないのに、こちらの感情だけが反転している。この状態を惑いと呼んだ。判断が自分の感情に振り回されている状態そのものを指している。人事や取引の場面で、これは頻繁に起きる。信頼していた人が一度期待を裏切ると、それまでの評価が全部消える。逆に、嫌っていた相手が一度助けてくれると、過去の評価が全部塗り替わる。同じ人物についての評価が、こちらの感情で反転するなら、その評価は最初から人物を見ていない。徙義、つまり義のあるほうへ移るという前半の教えは、この反転を防ぐ基準になる。