論語 / 先進篇
子畏於匡,顏淵後。子曰:「吾以女爲死矣!」曰:「子在,回何敢死?」
新字:子畏於匡,顔淵後。子曰:「吾以女為死矣!」曰:「子在,回何敢死?」
書き下し
子、匡に畏る。顔淵後る。子曰く、「吾女を以て死せりと為せり。」曰く、「子在せば、回何ぞ敢えて死せん。」
現代語訳
先生が匡で危険な目にあわれたとき、顔淵が遅れてやってきた。先生がおっしゃった。「私はお前が死んだものと思っていたよ。」(顔淵が)言った。「先生が生きておられるのに、回(私)がどうして死んだりできましょうか。」
解説
短い応酬に、師弟の関係が凝縮している。孔子は素直に安堵を示し、顔淵は自分の命を師の存在に結びつけて答えた。先生が生きている限り、自分は死ねない。継ぐべきものがあるからだ、という意味である。忠誠の表明でありながら、同時に責任の引き受けでもある。危機の場面で、部下が上司に対してこう言えるかどうかは、平時の関係で決まる。あなたがいる限り自分は倒れない、というのは、依存の言葉にも聞こえるが、ここではそうではない。顔淵は孔子の道を継ぐ立場にあり、その役目を果たすまでは死ねないと言っている。役割を自覚している人だけが言える言葉である。組織で最も強いのは、命じられた責任ではなく、自分で引き受けた役割である。
この章句が説くこと
師弟危機役割顔淵責任
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