論語 / 子罕篇
子謂顏淵,曰:「惜乎!吾見其進也,未見其止也!」
書き下し
子、顔淵を謂いて曰く、「惜しいかな。吾其の進むを見るも、未だ其の止まるを見ざるなり。」
現代語訳
先生が顔淵について語っておっしゃった。「惜しいことだ。私は彼が進んでいるのを見たが、立ち止まったのを見たことがない。」
解説
早世した顔回への追悼である。惜しいという言葉の後に続くのが、進み続けていたという事実だけだというのが胸を打つ。功績も地位も挙げていない。ただ、止まったのを見たことがない、と。この評価の仕方には、孔子の人の見方がそのまま出ている。到達した高さではなく、動き続けていたかどうかを見ている。到達点で人を評価すると、早く死んだ人は低く評価されるほかない。だが進み続けていたかどうかで見れば、期間の長短は本質ではなくなる。人を送るときに何を語るかは、その人をどう見ていたかを露わにする。肩書きや実績を並べるのは容易だが、それはその人でなくても書ける。止まったのを見たことがない、という一言は、長く近くで見ていた人にしか言えない。