論語 / 子罕篇
子曰:「出則事公卿,入則事父兄,喪事不敢不勉,不爲酒困,何有於我哉?」
新字:子曰:「出則事公卿,入則事父兄,喪事不敢不勉,不為酒困,何有於我哉?」
書き下し
子曰く、出でては則ち公卿に事え、入りては則ち父兄に事う。喪の事は敢えて勉めずんばあらず。酒の困と為らず。何か我に有らんや。
現代語訳
先生がおっしゃった。「外に出れば公卿(身分の高い人)に仕え、家に入れば父や兄に仕え、葬式のことは努めないわけにはいかず、酒に乱されることはない。(このうち)何が私にできているだろうか。」
解説
孔子が自分にとって当たり前だと言い切った四つである。外での勤め、家での務め、喪の礼、そして酒に飲まれないこと。最後の一つが並んでいるのが面白い。高尚な徳目の列に、飲みすぎないという生活習慣が同格で入っている。何有於我哉という結びは、自慢とも謙遜とも読めるが、いずれにせよこの水準を日常の基準線として置いていたことは確かだ。ここには、徳が特別な場面ではなく生活の総体で測られるという考え方がある。仕事では立派でも、家では横暴。人前では誠実でも、酒が入ると崩れる。そういう分裂を孔子は認めなかった。四つのうち一つでも欠ければ、他の三つの信用も落ちる。基準線は、最も低いところで決まる。
この章句が説くこと
日常基準線酒分裂一貫性
関連する章句
-
『韓非子』外儲説右下第三十五夫れ賞は之を勧むる所以にして、毀存す。罰は之を禁ずる所以にして、誉加はる。民中立して由る所を知らず、
-
論語・雍也篇季氏、閔子騫をして費の宰たらしむ。閔子騫曰く、「善く我が為に辞せよ。如し我を復たびする者有らば、則ち吾必ず汶の上に在らん。」
-
老子・第10章営魄を載せて一を抱く、能く離るること無からんか。気を専らにして柔を致す、能く嬰児ならんか。玄覧を滌除す、能く疵無からんか。民を愛し国を治む、能く無為ならんか。天門開闔す、能く雌たらんか。明白四達す、能く無知ならんか。之を生じ之を畜い、生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず。是を玄徳と謂う。
-
『春秋左氏伝』昭公十五年 力を量りて行う晉の荀吳師を帥ゐて鮮虞を伐ち、鼓を圍む。鼓人或いは城を以って叛かんと請ふ。穆子許さず。左右曰く、「師徒勤めずして、以って城を獲可し。何の故にか為さざる」と。穆子曰く、「吾諸を叔向に聞く、曰く、『好惡愆はざれば、民適く所を知り、事濟らざる無し』と。或いは吾が城を以って叛くは、吾の甚だ惡む所なり。人城を以って來るも、吾獨り何ぞ好まんや。甚だ惡む所を賞せば、好む所を若何せん。若し其れ賞せずんば、是れ信を失ふなり。何を以ってか民を庇はん。力能はば則ち進み、否ずんば則ち退く。力を量りて行ふ。吾以って城を欲して姦に邇づく可からず。喪ふ所滋々多からん」と。鼓人をして叛人を殺して守備を繕はしむ。鼓を圍むこと三月、鼓人或いは降らんことを請ふ。其の民をして見えしめて曰く、「猶ほ食色有り。姑く而の城を脩めよ」と。軍吏曰く、「城を獲れども取らず、民を勤めて兵を頓す。何を以ってか君に事へん」と。穆子曰く、「吾以って君に事ふるなり。一邑を獲て民に怠を教へば、將た焉んぞ邑を用ひん。邑以って怠を賈はば、舊を完くするに如かず。怠を賈へば卒へ無く、舊を棄つるは不祥なり。鼓人能く其の君に事へ、我も亦た能く吾が君に事ふ。義に率ひて爽はず、好惡愆はず、城獲可くして民義を知り、死命有る所にして二心無し。亦た可ならずや」と。鼓人食竭き力盡くるを告げて、而る後に之を取る。鼓に克ちて反り、一人をも戮せず。鼓子截鞮を以って歸る。冬、公晉に如く。平丘の會の故なり。
-
『墨子』明鬼下故に昔者、殷王紂、貴きこと天子と為り、富は天下を有ち、勇力の人、費中・惡来・崇侯虎有りて、指寡して人を殺す。人民の衆きこと兆億、侯として厥の澤陵に盈つ。然れども此を以て鬼神の誅を圉ぐ能わず。此れ吾が謂う所の鬼神の罰は、富貴衆强・力勇强武・堅甲利兵と為す可からずとは、此れなり。且つ禽艾の之を道いて曰く、「璣を得ること小なる無く、宗を滅ぼすこと大なる無し」と。則ち此れ鬼神の賞する所は、小なる無く必ず之を賞し、鬼神の罰する所は、大なる無く必ず之を罰するを言うなり。
-
『韓非子』南面第十八信ぜざる者に罪有り、事に功有る者を賞せざれば、則ち群臣敢えて言を飾りて以て主を惽くらます莫し。主道は、人臣をして、前言後に復せず、後言前に復せざらしめ、事に功有りと雖も、必ず其の罪に伏せしむ。之を任下と謂う。