論語 / 泰伯篇
子曰:「三年學,不至於穀,不易得也。」
新字:子曰:「三年学,不至於穀,不易得也。」
書き下し
子曰く、三年学びて、穀に至らざるは、得易からざるなり。
現代語訳
先生がおっしゃった。「三年学んで、俸禄のことに心が向かわない者は、なかなか得がたい。」
解説
三年も学べば、たいていの人は成果の回収を考え始める。この学びがいつ収入に変わるのか、という関心である。それを責めてはいないが、そこへ向かわない人は稀だ、と孔子は言う。裏返せば、学びの純度は時間とともに落ちるのが普通だという観察である。実際、学び始めの動機は純粋でも、続けるうちに投資回収の意識が混ざる。混ざること自体は悪ではない。問題は、回収を意識した瞬間から、学ぶ内容が回収しやすいものに寄っていくことだ。すぐ役立つもの、資格になるもの、話のネタになるもの。長期に効くが換金しにくい学びは、そこで捨てられる。得がたいと孔子が言ったのは、この選別に抗える人のことである。三年という期間指定に、実感がこもっている。
この章句が説くこと
学び動機俸禄純度長期
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