論語 / 述而篇
子曰:「奢則不孫,儉則固;與其不孫也,甯固。」
新字:子曰:「奢則不孫,倹則固;与其不孫也,甯固。」
書き下し
子曰く、奢れば則ち不孫、倹なれば則ち固なり。其の不孫ならんよりは、寧ろ固なれ。
現代語訳
先生がおっしゃった。「贅沢をすれば謙虚さを失う。倹約すれば頑なになる。どちらにも難がある。だが謙虚さを失うくらいなら、いっそ頑なであるほうがよい。」
解説
孔子は倹約を手放しで褒めていない。ちゃんと欠点を認めている。倹約すれば頑固で融通が利かなくなる、と。そのうえで、贅沢による傲慢よりはましだと順位をつけた。どちらも欠点だが、片方は関係を壊し、片方は自分が窮屈になるだけだからである。この比べ方が実務的だ。選択肢がどちらも不完全なとき、人は完璧な第三案を探して動けなくなる。孔子は完璧を探さず、被害の小さいほうを選んだ。経営判断の多くはこの形をしている。コストを削れば現場が苦しみ、投資すれば財務が痛む。どちらにも代償があり、無傷の道は無い。そのとき問うべきは、どちらが正しいかではなく、どちらの傷なら引き受けられるかである。
この章句が説くこと
奢倹選択次善傲慢判断
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