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論語 / 八佾篇

子曰:「居上不寬,爲禮不敬,臨喪不哀,吾何以觀之哉!」

新字:子曰:「居上不寛,為礼不敬,臨喪不哀,吾何以観之哉!」

書き下し

子曰く、上に居て寛ならず、礼を為して敬せず、喪に臨みて哀しまずんば、吾何を以て之を観んや。

現代語訳

先生がおっしゃった。「上の位にありながら寛容でなく、礼を行いながら敬いがなく、葬儀に臨みながら悲しまない。そういう人物を、私はいったいどこを見ればよいのか。」

解説

三つとも、外形は揃っているのに中身が空という同じ構造をしている。上位にはいる、礼は行う、葬儀には出る。出席簿の上では何も欠けていない。孔子が見るところが無いと言い切ったのは、この空洞に対してである。とくに最初の「上に居て寛ならず」は重い。地位が上がるほど、人は自分の基準を他人に厳しく当てるようになる。厳しさは有能さに見えるので、本人も周囲も欠点だと気づきにくい。だが寛容さを失った上役のもとでは、悪い情報が上がってこなくなる。報告が遅れ、失敗が隠れ、気づいたときには手遅れになっている。寛容は性格の問題ではなく、情報を集めるための条件である。

この一句を、あなたの毎日に。

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