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論語 / 八佾篇

子謂韶:「盡美矣,又盡善也。」謂武:「盡美矣,未盡善也。」

新字:子謂韶:「尽美矣,又尽善也。」謂武:「尽美矣,未尽善也。」

書き下し

子、韶を謂う、「美を尽くせり、又善を尽くせり。」武を謂う、「美を尽くせり、未だ善を尽くさざるなり。」

現代語訳

先生は舜の音楽である韶を評しておっしゃった。「美を尽くしている。その上、善も尽くしている。」武王の音楽である武を評しておっしゃった。「美を尽くしている。だが、善はまだ尽くしていない。」

解説

同じ「見事だ」の中に、孔子は二つの評価軸を立てた。美は出来ばえ、善は成り立ちである。韶は舜が禅譲によって位を受けた時代の音楽であり、武は武王が武力で殷を倒した時代の音楽だった。曲としての完成度は互角でも、背後にある手段が違う。だから片方には留保がついた。仕事の評価にそのまま使える見方である。数字は申し分ない、出来ばえも申し分ない。それでも、どうやって得たのかを別軸で見る。無理を押し通したのか、誰かに負担を寄せたのか。成果だけを見る組織は、この留保を言葉にできない。美と善を分けて持っておくと、褒めながら宿題を残すことができる。全否定でも全肯定でもない評価は、この二軸があって初めて成り立つ。

この一句を、あなたの毎日に。

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