尚書 / 五子之歌
予臨兆民,懍乎若朽索之馭六馬。為人上者,柰何不敬
書き下し
予、兆民に臨むこと、懍乎(りんこ)として朽索(きゅうさく)の六馬を馭(ぎょ)するが若(ごと)し。人の上と為る者、柰何(いかん)ぞ敬せざらんや。
現代語訳
私が万民の上に立つことは、朽ちた縄で六頭立ての馬を御するように恐れ慎むべきことだ。人の上に立つ者が、どうして敬い慎まずにいられようか。
解説
六頭の馬を朽ちた縄で操るという喩えは、力に見合わない不安定さを鮮やかに描き出している。人の上に立つということは、常にその危うさへの緊張感を伴うべきだという教えである。これは大きな組織のトップに限らず、誰かを預かる立場、誰かに頼られる立場すべてに当てはまる。慣れて緊張が緩んだときこそ、手綱は切れやすい。自分の力を過信せず、綱の細さを忘れないことが、任される者の礼儀といえる。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
この章句が説くこと
戦戦兢々責任緊張感
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