孟子 / 離婁章句下
孟子曰、非禮之禮、非義之義、大人弗為。
新字:孟子曰、非礼之礼、非義之義、大人弗為。
書き下し
孟子曰く、「非禮の禮、非義の義は、大人為さず。」
現代語訳
孟子は言った。 「礼に似てはいるが、真の礼ではない、義に似てはいるが、真の義ではない。このような礼儀は、大人物のしないことだ。」
解説
世の中には、一見すると正しいことや礼儀正しいように見えても、本質から外れている「似て非なるもの」が多く存在します。形式だけを取り繕ったマナーや、自己満足のための親切は、真の思いやりや正しさではありません。物事の表面的な美しさや世間の見栄に流されることなく、その行動の根底に本当に誠実な心があるのかを見極めることが大切です。真の優れた人物は、表面的な飾りに惑わされず、本質的な正しさを重んじます。
この章句が説くこと
本質の見極め似て非なるもの誠実さ形式主義
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孟子・萬章章句上咸丘蒙問いて曰く、「語に云う、『盛德の士は、君も得て臣とせず、父允若。是為父不得而子也。も得て子とせず。舜南面して立つや、堯、諸侯を帥いて北面して之に朝す。瞽瞍も亦た北面して之に朝す。舜、瞽瞍を見て、其の容蹙有り。孔子曰く、斯の時に於いてや、天下殆いかな、岌岌乎たり、と。』識らず、此の語誠に然るか。」孟子曰く、「否。此れ君子の言に非ず。齊の東野人の語なり。堯老して舜攝するなり。堯典に曰く、『二十有八載、放勳乃ち徂落す。百姓、考妣を喪するが如し。三年、四海、八音を遏密す。』孔子曰く、『天に二日無く、民に二王無し。』舜既に天子為り。又天下の諸侯を帥いて以て堯の三年の喪を為さば、是れ二天子なり。」咸丘蒙曰く、「舜の堯を臣とせざるは、則ち吾既に命を聞くことを得たり。詩に云う、『普天の下、王土に非ざるは莫く、率土の濱、王臣に非ざるは莫し。』而して舜既に天子為り。敢て問う、瞽瞍の臣に非ざるは如何。」曰く、「是の詩や、是を之れ謂うに非ざるなり。王事に勞して、父母を養うことを得ざるなり。曰く、『此れ王事に非ざること莫し。我獨り賢勞す。』故に詩を説く者は、文を以て辭を害せず、辭を以て志を害せず、意を以て志を逆う。是れ之を得たりと為す。如し辭のみを以てせば、雲漢の詩に曰く、『周餘の黎民、孑遺(ゲツ・イ)有ること靡し。』斯の言を信ぜば、是れ周に遺民無きなり。孝子の至りは、親を尊ぶより大なるは莫し。親を尊ぶの至りは、天下を以て養うより大なるは莫し。天子の父為るは、尊ぶの至りなり。天下を以て養うは、養うの至りなり。詩に曰く、『永く言に孝思う、孝を思えば維れ則たり。』此れ之を謂うなり。書に曰く、『載を祗みて瞽瞍に見え、夔夔として齊栗す。瞽瞍も亦た允とし若えり。』是を父得て子とせずと為す。」
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