貞観政要 / 災祥
貞觀十一年,大雨,谷水溢,沖洛城門,入洛陽宮,平地五尺,毀宮寺十九,所漂七百餘家。太宗謂侍臣曰:「朕之不德,皇天降災。將由視聽弗明,刑罰失度,遂使陰陽舛謬,雨水乖常。矜物罪己,載懷憂惕。朕又何情獨甘滋味?可令尚食斷肉料,進蔬食。文武百官各上封事,極言得失。」中書侍郎岑文本上封事曰:
新字:貞観十一年,大雨,谷水溢,沖洛城門,入洛陽宮,平地五尺,毀宮寺十九,所漂七百余家。太宗謂侍臣曰:「朕之不徳,皇天降災。将由視聴弗明,刑罰失度,遂使陰陽舛謬,雨水乖常。矜物罪己,載懐憂惕。朕又何情独甘滋味?可令尚食断肉料,進蔬食。文武百官各上封事,極言得失。」中書侍郎岑文本上封事曰:
書き下し
貞観十一年、大雨あり。谷水溢れ、洛の城門を沖(つ)き、洛陽宮に入る。平地五尺。宮寺を毀(こぼ)つこと十九。漂う所七百余家。太宗侍臣に謂いて曰く、「朕の不徳、皇天は災を降す。将(は)た視聴の明ならず、刑罰の度を失うに由らん。遂に陰陽をして舛謬(せんびゅう)せしめ、雨水をして常に乖(そむ)かしむ。物を矜れみ己を罪す。載(すなわ)ち憂惕を懐く。朕又た何の情ありて独り滋味を甘しとせんや。尚食をして肉料を断ち、蔬食を進めしむべし。文武百官は各々封事を上り、極めて得失を言え」と。中書侍郎岑文本、封事を上りて曰く、
現代語訳
貞観十一年、大雨が降った。谷水が溢れ、洛陽の城門を突き破り、洛陽宮に流れ込んだ。平地で五尺の高さ。宮殿や寺を十九棟壊し、七百余家が流された。太宗が側近の臣に言った。「私の不徳により、天が災いを降した。おそらく見聞きすることが明らかでなく、刑罰が度を失ったからだろう。それで陰陽が狂い、雨が常に背いた。物を憐れみ、自らを責める。憂え恐れている。私にどんな気持ちがあって、一人美食を味わえようか。食膳係に肉を断たせ、野菜の食事を出させよ。文武百官はそれぞれ封をして意見を上り、得失を思い切って言え」。中書侍郎の岑文本が封をして意見を上って言った。
解説
洪水の後、まず自分の食事を質素にし、次に百官に意見を求めました。「私にどんな気持ちがあって、一人美食を味わえようか」。被害者と、痛みを分かち合う。そして意見を求める。嘆くのでも、命令するのでもなく、まず自分を律し、それから声を集めたのです。