墨子 / 貴義
子墨子曰:必去六辟。嘿則思,言則誨,動則事,使者三代御,必為聖人。必去喜、去怒、去樂、去悲、去愛,而用仁義。手足口鼻耳從事於義,必為聖人。
新字:子墨子曰:必去六辟。嘿則思,言則誨,動則事,使者三代御,必為聖人。必去喜、去怒、去楽、去悲、去愛,而用仁義。手足口鼻耳従事於義,必為聖人。
書き下し
子墨子曰く、必ず六辟を去れ。嘿すれば則ち思い、言えば則ち誨え、動けば則ち事とす。使者、三たび代御せば、必ず聖人と為らん。必ず喜を去り、怒を去り、樂を去り、悲を去り、愛を去りて、仁義を用いよ。手足口鼻耳、義に従事せば、必ず聖人と為らん。
現代語訳
墨子が言った。必ず六つの偏りを去れ。黙っているときは思い、話すときは教え、動くときは仕事とする。この三つが交代で働けば、必ず聖人となる。必ず喜びを去り、怒りを去り、楽しみを去り、悲しみを去り、愛着を去って、仁義を用いよ。手も足も口も鼻も耳も義に従事すれば、必ず聖人となる。
解説
黙る・話す・動くの三つを、それぞれ思う・教える・仕事にすると割り当てます。空いている時間が無いということでもあります。感情を去れという要求は厳しいものですが、墨家がここで排するのは私的な好悪であって、感情一般ではありません。判断から個人の好き嫌いを外すという、非楽篇と同じ姿勢です。三つの状態それぞれに役を与えるという整理の仕方が面白いところです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
修養感情判断私情義
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