武士道 / 第五章 仁・愛不忍の心・徳は本にして利は末
蓋し國君德を好めば百姓之に歸し、從つて地自から大に、貨自から殖し、此れを用ひて謬らず、德は本にして、利は末なりとは、即ち孟子が王道の大義にして、『不仁而得國者有之矣、不仁而得天下未之有也』と曰ひ、又た民の心を得ずして王たる能はざるを說けり。帝範に曰く、『天以寒暑爲德、君以仁愛爲心』と。抑も武力角逐を常とせる封建制度の下に在りて、人の能く壓制無道より免るゝを得たる所以のものは、即ち仁の德大なるを以てなり。臣僕は其『生命肢體』を捧げ、而して君主は此れが生殺を恣にするや、壓制從つて生ず。外人徃々之を罵つて『東洋的壓制』となし、而して其云ふ所を以て見れば、泰西史上、未だ曾て一人の暴主をも有せざるものゝ如し。
新字:蓋し国君徳を好めば百姓之に帰し、従つて地自から大に、貨自から殖し、此れを用ひて謬らず、徳は本にして、利は末なりとは、即ち孟子が王道の大義にして、『不仁而得国者有之矣、不仁而得天下未之有也』と曰ひ、又た民の心を得ずして王たる能はざるを説けり。帝範に曰く、『天以寒暑為徳、君以仁愛為心』と。抑も武力角逐を常とせる封建制度の下に在りて、人の能く圧制無道より免るゝを得たる所以のものは、即ち仁の徳大なるを以てなり。臣僕は其『生命肢体』を捧げ、而して君主は此れが生殺を恣にするや、圧制従つて生ず。外人往々之を罵つて『東洋的圧制』となし、而して其云ふ所を以て見れば、泰西史上、未だ曽て一人の暴主をも有せざるものゝ如し。
書き下し
けだし国君、徳を好めば百姓之に帰し、従つて地自から大に、貨自から殖し、此れを用ひて謬らず、徳は本にして、利は末なりとは、即ち孟子が王道の大義にして、『不仁にして国を得る者は之有り、不仁にして天下を得る者は未だ之有らざるなり』と曰ひ、又た民の心を得ずして王たる能はざるを説けり。帝範に曰く、『天は寒暑を以て徳と為し、君は仁愛を以て心と為す』と。抑も武力角逐を常とせる封建制度の下に在りて、人の能く圧制無道より免るるを得たる所以のものは、即ち仁の徳大なるを以てなり。臣僕は其『生命肢体』を捧げ、而して君主は此れが生殺を恣にするや、圧制従つて生ず。外人ややもすれば之を罵つて『東洋的圧制』となし、而して其云ふ所を以て見れば、泰西史上、未だかつて一人の暴主をも有せざるもののごとし。
現代語訳
思うに、国君が徳を好めば人民がこれに帰し、したがって土地は自然と広がり財は自然と増え、これを用いて誤らない。徳が本であり利は末であるとは、孟子の王道の大義です。孟子は、仁でなくて国を得る者はいるが、仁でなくて天下を得た者はまだいない、と言い、また民の心を得ずして王となれないことを説きました。帝範には、天は寒さと暑さをもって徳とし、君は仁愛をもって心とする、とあります。もともと武力の争いを常とする封建制度のもとで、人が圧政と無道から免れられたのは、仁の徳が大きかったからです。臣下が生命と身体を捧げ、君主がその生死を思うままにすれば、圧政が生じます。外国人はともすればこれを罵って東洋的圧政と呼び、その言い方から見ると、西洋の歴史には暴君が一人もいなかったかのようです。
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『徂徠先生答問書』卷上詩経に民之父母と申候語御座候。是に踰候よき註解無御座候。民之父母とは如何心得可申候や。まづ父母とは其家の旦那の事と御心得可被成候。賤き民家の旦那を申候はゞ、其家内には火車なる姥も御座候。引ずりなる女房も御座候。うかといたしたる太郎子も御座候。いたづらなる三男も有之候。うゐ〳〵しき媳婦も有之候。又譜第の家来には、年より用にたゝざる片輪なる下部も御座候。幼少より其家にそだてられ恩にあまへ候て、申付をも聞ざる若き奴も有之、さりとては埓もなき家の内にて、理非にて正し候はんには、手もつけられぬあきはてたる事に候。
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『童子問』卷上問ふ、南軒張子、論語中の仁を言ふ諸章を類聚して一編と為し、名づけて洙泗言仁録と曰ふ。当れるか。曰く、然らず。魯論二十篇、頭より尾に至るまで、一言として仁に非ざる無し。南軒は唯仁を言ふ処の仁為るを知りて、仁を言はざる処も亦総て是れ仁なることを知らず。大伝に固より言ふ、「仁者は之を見て之を仁と謂ひ、智者は之を見て之を智と謂ふ。百姓は日に用ひて知らず。故に君子の道鮮し」と。然れども仁は徳の長なり。学仁に至れば、則ち衆徳合湊す。故に子夏曰く、「博く学びて篤く志し、切に問ひて近く思ふ。仁其の中に在り」と。夫れ博学篤志、切問近思は、皆学問の事なり。子夏何を以て仁其の中に在りと言ふや。蓋し仁は聖門学問の宗旨にして、仁の外に所謂学問なる者無きなり。諸老先生皆理に依りて之を解す。仁の義を去ること益々遠し。
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『弁名』仁仁斎先生乃ち曰く、「慈愛の徳、遠近内外、充実通徹して、至らざる所無し」と。是れ又た孟子に泥みて、惻隠の心を拡充して以て仁を成さんと欲す。諸を先王に属せずして、諸を人人に属す。諸を安民に帰するを知らずして、徒に慈愛を以て之を言ふ。故に其の弊遂に釈迦を以て仁人と為すに至る。豈に謬らずや。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一易に天地の大徳を生と云ふ。此理よく味ひて知るべし。生とは生きて死なず、生かして殺さず、生々してやまず。此故に、天地は万物をうみて育て給ふ。万物の父母なり。物をあはれみて、生かすことを好み、殺すことをきらひ給ふ。是天地の大徳なり。生の理なり。人は天地の子なれば、其心に、天地の大徳、生の理そなはりて、天地のめぐみの心を生れつきたり。是を仁といふ。仁は人物をあはれみ愛するの心にして、是即天地の生物の心なり。万物は皆天地の産める所なり。其中に、取分人倫は、尤天地のめぐみ厚し。万物の内にて、いと貴くして、天地の子とする所なり。此故に、天地の御心にしたがひ、仁心を以て物を愛するには、人倫において殊更あつくすべし。