顔氏家訓 / 勉學
梁朝全盛之時、貴游子弟、多無學術、至於諺云:「上車不落則著作、體中何如則秘書。」無不熏衣剃面、傅粉施朱、駕長檐車、跟高齒屐、坐棋子方褥、憑斑絲隱囊、列器玩於左右、從容出入、望若神仙。明經求第、則顧人答策、三九公燕、則假手賦詩。當爾之時、亦快士也。
新字:梁朝全盛之時、貴游子弟、多無学術、至於諺云:「上車不落則著作、体中何如則秘書。」無不熏衣剃面、傅粉施朱、駕長檐車、跟高歯屐、坐棋子方褥、憑斑糸隠嚢、列器玩於左右、従容出入、望若神仙。明経求第、則顧人答策、三九公燕、則仮手賦詩。当爾之時、亦快士也。
書き下し
梁朝全盛の時、貴游の子弟、多く学術無し。諺に云うに至る、「車を上りて落ちざれば則ち著作、体中何如なれば則ち秘書」と。衣を熏じ面を剃り、粉を傅け朱を施し、長檐の車に駕し、高歯の屐を跟き、棋子の方褥に坐し、斑糸の隠嚢に憑り、器翫を左右に列ね、従容として出入し、望めば神仙の若し。明経して第を求むれば、則ち人を顧いて策に答え、三九の公燕には、則ち手を仮りて詩を賦す。爾の時に当たりては、亦た快士なり。
現代語訳
梁の朝廷が全盛だった頃、名門の子弟には学問のない者が多かった。ことわざにこう言うほどであった。「車に乗って落ちなければ著作郎、『ご機嫌いかが』と書ければ秘書郎」。衣に香を焚きしめ顔を剃り、白粉をつけ紅をさし、長い庇の車に乗り、高歯の下駄を履き、碁盤模様の敷物に座り、まだら模様の絹の脇息にもたれ、器や玩具を左右に並べ、ゆったりと出入りする。眺めれば神仙のようであった。経学の試験で及第を求めるときは、人を雇って答案を書かせ、高官の宴会では、人の手を借りて詩を作らせた。その頃はまさに、颯爽たる士であった。
解説
この章句が説くこと
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