論語 / 学而篇
子曰、「弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力、則以學文。」
新字:子曰、「弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有余力、則以学文。」
書き下し
子曰く、「弟子、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信、汎く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有らば、則ち以て文を学ぶ。」
現代語訳
先生(孔子)がおっしゃった。「若者たちは、家に帰っては親に孝行し、外に出ては目上の人に従順であり、言動を慎んで誠実であり、広く人々を愛して仁徳のある人に親しみ、これらを実行してまだ余力があるならば、学問を修めなさい。」
解説
孔子は、若い人にまず身につけてほしいこととして、家では親を大切にし、外では年上の人を立て、言動を慎んで誠実であり、多くの人を分け隔てなく思いやり、人格者と進んで付き合うことを挙げています。そして、それらを実践してなお余裕があれば、そこで初めて書物や学問を学びなさい、と説いています。順番が大事だという教えです。知識を詰め込むより先に、人として当たり前のことができているか。挨拶ができる、約束を守る、人を思いやれる。こうした基本が身についていない人が、いくら勉強や仕事の技術だけ優れていても、周りからは信用されません。子育てや後輩の指導においても、まず人としての土台を育てることを優先し、勉強や専門的なことはその後についてくるものだと考えると、教える順番が見えてきます。
この章句が説くこと
弟子孝弟謹信汎愛
関連する章句
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言志四録・言志晩録 第二百六十八条 孝弟は終身の工夫孝弟は、是れ終身の工夫なり。老いて自ら養ふは、即ち是れ孝なり。老いて人に譲るも、亦是れ弟なり。
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『和俗童子訓』巻之二・総論下一幼き時より、孝弟の道を専らに教ふべし。孝弟を行ふには、愛敬の心法を知るべし。愛とは人を慈み、いとをしみて、おろそかならざるなり。敬とは、人を敬ひて、侮らざるなり。父母をいつくしみ敬ふは孝なり。是愛敬の第一の事なり。次に兄をいつくしみ敬ふは弟なり。又をぢをばなど、凡年長ぜる人をいつくしみ敬ふも弟なり。次に我が弟従兄弟甥など、又めしつかふ下部など、其ほどにしたがひて、いつくしむべし。いやしき者をも、侮りおろそかにすべからず。各其位にしたがひて、愛敬すべし。およそ愛敬二の心は、人倫に対する道なり。人にまじはるに、我が心と顔色をやはらけ、人を侮らざるは、是善を行ふはじめなり。我が気にまかせて、位に驕り、才にほこり、人をあなどり、無礼をなすべからず。
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『和俗童子訓』巻之二・総論下一論語の、子曰く弟子入りては、則ち孝するの一章は、人の子となり弟となる者の法を、聖人の教へ給へるなり。我が家に在ては、まづ親に孝をなすべし。孝とは善く父母に事ふるをいふ。能く事ふるとは、孝の道を知りて力を尽すをいふ。力を尽すとは、我が身の力を尽してよく父母に事へ、財の力を尽して能く養ふをいふ。父母に事ふるには、力を惜むべからず。次に親の前を退き出でては、弟を行ふべし。弟は善く兄長に事ふるをいふ。兄は子のかみにて、親に近ければ、敬ひ従ふべし。もし兄より弟を愛せずとも、弟は弟の道を失ふべからず。兄の不友を似せて、不弟なるべからず。其外親戚傍輩の内にて、年老いたる長者をば、敬ひて侮る事なかれ。是弟の道なり。凡孝弟の二は、人の子弟の行の根本なり。
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『和俗童子訓』巻之三・随年教法一かしづきて従ふ人より、まづ孝弟の道を教ふべし。能く父母に事ふるを孝とし、よく兄長に事ふるを弟とす。是人たる者の第一に勤め行ふべき道なる事、かしづきて師となる人、早く教ふべし。次に兄長を敬ひ従ひて、侮るべからざる事を教ふべし。兄長とは、兄姊をぢをば、また、いとこの内、其外にも、年たけて敬ふべき人を云ふ。凡孝弟の二は、人間の道を行ふ本なり。万事の善は、皆是よりはじまれる事を教ふべし。父母兄長におそれつつしみて、其教いましめを能く聞きて背かざる事を教ふべし。教を背きては、無下の事なり。父母を恐れず、兄長を侮らば、戒めてゆるすべからず。もし人を侮る事をゆるし、かへりて笑ひ悦べば、小児は善悪を弁へずして、悪しからざる事とおもひ、長じて後、此くせやまず。
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『和俗童子訓』巻之二・総論下尤勤むべし。謹とは、心に恐ありて、万の事の誤なからんやうにするなり。万の事は、謹より行はる。謹なければ、万事乱れて、善き道行はれず。万の過も禍も、皆つつしみなきよりおこる。謹めば心に怠なく、身のわざに誤少なし。謹の一字、尤大切のこと也。若き子弟の輩は、殊更是を守るべし。信とは、言に偽なくて、誠あるを云ふ。身には行はずして、口に言ふは、信なきなり。又人と約して、其事を変ずるも、信なきなり。人の身のわざ多けれども、口に言ふと身に行ふとの二より外にはなし。行をつつしみて、言に信あるは、身を修むるの道なり。汎愛衆とは、我がまじはり対する所の諸人に情ありて、ねんごろにあはれむを云ふ。下人を使ふに情深きも、亦衆を愛するなり。
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歎異抄・第六条専修念仏の輩の、「わが弟子、ひとの弟子」という相論の候らんこと、もってのほかの子細なり。 親鸞は弟子一人ももたず候。 そのゆえは、わが計らいにて人に念仏を申させ候わばこそ、弟子にても候わめ、ひとえに弥陀の御もよおしにあずかりて念仏申し候人を、「わが弟子」と申すこと、極めたる荒涼のことなり。
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