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臨済録 / 勘辨

師令樂普去問:「道得為什麼也三十棒?待伊打汝,接住棒送一送,看他作麼生?」普到彼如教而問,德山便打,普接住送一送,德山便歸方丈。普回舉似師,師云:「我從來疑著這漢,雖然如是,汝還見德山麼?」普擬議,師便打。王常侍一日訪師,同師於僧堂前看,乃問:「這一堂僧還看經麼?」師云:「不看經。」侍云:「還學禪麼?」師云:「不學禪。」侍云:「經又不看、禪又不學,畢竟作箇什麼?」師云:「總教伊成佛作祖去。」侍云:「金屑雖貴,落眼成翳,又作麼生?」師云:「將為爾是箇俗漢。」

新字:師令楽普去問:「道得為什麼也三十棒?待伊打汝,接住棒送一送,看他作麼生?」普到彼如教而問,徳山便打,普接住送一送,徳山便帰方丈。普回舉似師,師云:「我従来疑著這漢,雖然如是,汝還見徳山麼?」普擬議,師便打。王常侍一日訪師,同師於僧堂前看,乃問:「這一堂僧還看経麼?」師云:「不看経。」侍云:「還学禅麼?」師云:「不学禅。」侍云:「経又不看、禅又不学,畢竟作箇什麼?」師云:「総教伊成仏作祖去。」侍云:「金屑雖貴,落眼成翳,又作麼生?」師云:「将為爾是箇俗漢。」

書き下し

師、楽普をして去いて問わしむ、「道い得るに為什麼(なにとしてか)也た三十棒なる、と。伊(かれ)が汝を打つを待って、棒を接住して送一送せよ、他の作麼生なるかを看よ。」普、彼に到って教えの如く問う。徳山便ち打つ。普接住して送一送す。徳山便ち方丈に帰る。普回って師に挙似す。師云く、「我従来這の漢を疑著す。是の如くなりと雖然(いえど)も、汝還って徳山を見るや。」普擬議す。師便ち打つ。王常侍一日師を訪い、師と同じく僧堂の前に於いて看て、乃ち問う、「這の一堂の僧、還って看経するや。」師云く、「看経せず。」侍云く、「還って学禅するや。」師云く、「学禅せず。」侍云く、「経又た看ず、禅又た学ばず、畢竟箇の什麼をか作す。」師云く、「総に伊をして成仏作祖し去らしむ。」侍云く、「金屑貴しと雖も、眼に落つれば翳(えい)と成る、又た作麼生。」師云く、「将に謂えり、爾は是れ箇の俗漢と。」

現代語訳

(徳山の「言い得ても三十棒、言い得なくても三十棒」を聞いて)師は楽普を遣わして問わせた。「言い得たのに、なぜ三十棒なのか、と問え。あいつがおまえを打とうとしたら、その棒をつかんでぐいと突き返し、どう出るか見てこい。」楽普は徳山のもとに着くと、教えられたとおりに問うた。徳山はすぐに打った。楽普は棒をつかんで突き返した。徳山はそのまま方丈(住持の居室)に帰った。楽普は戻って師に報告した。師は言った。「わしは前々からあの男をただ者ではないと睨んでいた。それはそうとして、おまえは徳山を見て取れたか。」楽普がためらうと、師はすぐに打った。王常侍(おうじょうじ、常侍の官にある地方の長官)がある日師を訪ね、師と一緒に僧堂の前で(僧たちを)眺めながら問うた。「この堂の僧たちは経を読むのか。」師「経は読まない。」常侍「では禅を学ぶのか。」師「禅も学ばない。」常侍「経も読まず、禅も学ばず、結局何をさせているのか。」師「皆を仏とし祖師とさせるのだ。」常侍「金の粉は貴いといっても、目に入れば目を曇らせる。それはどうか。」師「おまえはただの俗人だと思っていたが(なかなかどうして)。」

解説

前半は徳山の「道い得るも三十棒、道い得ざるも三十棒」への臨済の返礼である。楽普に棒をつかんで突き返させると、徳山は黙って方丈へ帰った。臨済は「あの男を疑っていた」と言って只者でないと見抜いていたことを示しつつ、楽普には「おまえは徳山を見たか」と迫る。使いを果たしただけで満足した弟子を打つのである。後半の王常侍との問答では、経も禅も学ばせず「総に成仏作祖せしむ」と言い切る。王常侍の「金屑も眼に落つれば翳と成る」は、仏や祖師という尊い観念さえ執着になれば目を曇らせるという鋭い切り返しで、臨済は俗人と見た自分の見立てを改める。研修や資格といった貴い道具も、目的を見えなくすれば翳になる。

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