臨済録 / 勘辨
師問杏山:「如何是露地白牛?」山云:「吽吽。」師云:「啞那。」山云:「長老作麼生?」師云:「這畜生。」
書き下し
師杏山に問ふ、「如何なるか是れ露地の白牛」と。山云く、「吽吽」と。師云く、「啞なるか」と。山云く、「長老作麼生」と。師云く、「這の畜生」と。
現代語訳
慧照が杏山に問うた。「露地の白牛とは何か」。杏山は言った。「もう、もう」。慧照は言った。「唖か」。杏山は言った。「長老はどうか」。慧照は言った。「この畜生め」。
解説
露地の白牛は『法華経』の譬喩に出る、何ものにもさえぎられない一乗の象徴である。臨済がそれを問うと、杏山は説明せずに牛の鳴きまねをした。言葉で答えれば、白牛は概念になる。鳴いてしまえば、その場に牛がいる。臨済は「啞なるか」——口がきけないのか、と返す。ほめてもけなしてもいない、次の手を促す一撃である。杏山は問いを投げ返す。「長老作麼生」——あなたならどうか。ここで臨済は自分の答えを言わない。「這の畜生」と罵る。ところがこの罵りが、そのまま答えになっている。杏山を畜生と呼ぶことで、露地の白牛はいまここにいる、と示したことになるからだ。四十字ほどの応酬で、二人とも一度も説明していない。勘辨の記録がなぜ翻訳しにくいかというと、意味を語らずに位置だけで語っているからである。
この章句が説くこと
杏山露地白牛法華経の譬喩勘弁