葉隠 / 聞書第一
直茂公御意の通り、志ある侍は諸朋輩と懇意に寄合ふ筈なり。それ故、侍より足輕迄大分入魂致し置きたり。此の衆は自然の時一働き存じ立ち候が、「主人の御爲に同意あるまじきや。」と申す時、二三といはぬ所、見届け置きたり。されば、よき家來を持ちたる始なり。御爲になる事なり。
新字:直茂公御意の通り、志ある侍は諸朋輩と懇意に寄合ふ筈なり。それ故、侍より足軽迄大分入魂致し置きたり。此の衆は自然の時一働き存じ立ち候が、「主人の御為に同意あるまじきや。」と申す時、二三といはぬ所、見届け置きたり。されば、よき家来を持ちたる始なり。御為になる事なり。
書き下し
直茂公(なおしげこう)御意(ぎょい)の通(とお)り、志(こころざし)ある侍(さむらい)は諸朋輩(しょほうばい)と懇意(こんい)に寄(よ)り合(あ)うはずなり。それゆえ、侍(さむらい)より足軽(あしがる)まで大分(だいぶ)入魂(じっこん)いたし置(お)きたり。この衆(しゅう)は自然(しぜん)の時(とき)一働(ひとはたら)き存(ぞん)じ立(た)ち候(そうろう)が、「主人(しゅじん)の御為(おんため)に同意(どうい)あるまじきや」と申(もう)す時(とき)、二三(にさん)といわぬところ(ぐずぐず言わぬところ)、見届(みとど)け置(お)きたり。されば、よき家来(けらい)を持(も)ちたる始(はじ)めなり。御為(おんため)になることなり。
現代語訳
直茂公の御意向のとおり、志ある侍は同僚たちと親しく交わるべきものである。それゆえ私は、侍から足軽に至るまで多くの者と深く心を通わせておいた。この者たちは、いざという時に一働きしようと決心しており、「主君のために力を合わせてくれないか」と言えば、迷わず応じてくれる――そのことを見届けてある。これこそ、よい家来を持つ第一歩である。主君のためになることだ。
解説
志ある侍は日ごろから同僚と親しく交われ、という直茂公の教えを受けた一節です。著者は、侍から足軽まで幅広く心を通わせておいたと言います。いざという一大事のとき「主君のために力を合わせてくれるか」と問えば、彼らはぐずぐず言わず応じてくれる。それを見届けてきた、と。よい家来を持つ第一歩は、平時の人づきあいにあるという実践的な教えです。背景には、緊急時に人を動かせるかどうかが武士の値打ちを決めた事情があります。現代でも、日ごろの信頼の蓄積が、危機の場面で人が動いてくれるかを決めます。ふだんの関係づくりこそ最大の備えだ、と読めるでしょう。
この章句が説くこと
日頃の交わり信頼の蓄積人望いざという時身分を超える交流備え
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