礼記 / 曲礼上
大夫七十而致事。若不得謝,則必賜之几杖,行役以婦人。適四方,乘安車。自稱曰「老夫」,於其國則稱名。越國而問焉,必告之以其制。 謀於長者,必操几杖以從之。長者問,不辭讓而對,非禮也。
新字:大夫七十而致事。若不得謝,則必賜之几杖,行役以婦人。適四方,乗安車。自称曰「老夫」,於其国則称名。越国而問焉,必告之以其制。 謀於長者,必操几杖以従之。長者問,不辞譲而対,非礼也。
書き下し
大夫は七十にして事を致す。若し謝するを得ざれば、則ち必ずこれに几杖(きじょう)を賜い、行役には婦人を以てす。四方に適(ゆ)くには、安車に乗る。自ら称して「老夫」と曰い、其の国に於いては則ち名を称す。国を越えてこれに問わば、必ずこれに告ぐるに其の制を以てす。 長者に謀るには、必ず几杖を操(と)りて以てこれに従う。長者問うに、辞譲せずして対(こた)うるは、礼に非ざるなり。
現代語訳
大夫(たいふ、卿に次ぐ高位の官)は七十歳になると職を君に返して引退する。もし君が引退を許さないときは、必ず几(ひじかけ)と杖を賜り、公務で出かける際には婦人を付き添わせて世話をさせる。四方の国へ出向くときは、座って乗れる安車(老人用の小さな車)に乗る。自分のことは「老夫」と称し、自国の中では自分の名を名乗る。他国の者が国境を越えてきて尋ねたときは、必ず自国の制度に基づいて答える。 年長者に相談ごとをするときには、必ず几と杖を携えて付き従う。年長者から問われて、いったん辞退してへりくだることなく、すぐさま答えるのは礼ではない。
解説
老いた大夫の処遇と、年長者に接するときの心得を述べた段である。七十歳で職を返すことを「致事」と言い、日本語で官職を退くことを「致仕」と呼ぶのはこの系譜にある。君がなお必要として引退を許さない場合には、几と杖、付き添いの婦人、座って乗れる安車を与えて、老臣の身をいたわりつつ働いてもらう。礼は老人を一律に退かせるのではなく、経験を惜しみ、体の衰えに配慮しながら用いる道も備えていたのである。自国では謙って名を名乗り、他国の者には自国の制度で答えるという規定は、年功ある者の振る舞いにも節度を求めている。後半は若い者の側の礼で、年長者に相談するときは几杖を持って従い、問われたらまず辞退してから答える。すぐ答えないのは、知っていても一歩引く謙虚さを示すためである。経験ある人をどう遇し、どう教えを請うかは、いまの職場の世代間の関係にもそのまま通じる問いである。
この章句が説くこと
礼記致仕長者敬老曲礼
関連する章句
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礼記・祭義是の故に、朝廷にては爵を同じくすれば則ち歯を尚ぶ。七十にして朝に杖つき、君問えば則ち席す。八十にして朝を俟たず、君問えば則ちこれに就く。而して弟(てい)朝廷に達す。 行くに、肩して並ばず、錯(たが)わざれば則ち随う。老者を見れば、則ち車徒辟(さ)く。斑白の者はその任を以て道路に行かず。而して弟道路に達す。
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礼記・王制凡そ老を養うに、有虞氏は燕礼を以てし、夏后氏は饗礼を以てし、殷人は食礼(しれい)を以てし、周人は脩めて兼ねてこれを用う。五十は郷に養い、六十は国に養い、七十は学に養う。諸侯に達す。 八十は君命を拝するに、一たび坐して再び至(いた)す。瞽(こ)も亦これの如くす。九十は人をして受けしむ。五十は粻(ちょう)を異にし、六十は肉を宿(たくわ)え、七十は膳を弐(そ)え、八十は珍を常にす。九十は飲食寝を離れず、膳飲は遊に従いて可なり。六十は歳ごとに制し、七十は時ごとに制し、八十は月ごとに制し、九十は日ごとに脩む。唯絞(こう)・紟(きん)・衾(きん)・冒(ぼう)は、死して后に制す。五十にして始めて衰え、六十は肉に非ざれば飽かず、七十は帛に非ざれば煖かならず、八十は人に非ざれば煖かならず、九十は人を得と雖も煖かならず。五十は家に杖つき、六十は郷に杖つき、七十は国に杖つき、八十は朝に杖つく。九十の者は、天子問うこと有らんと欲すれば、則ち其の室に就き、珍を以て従う。七十は朝を俟(ま)たず、八十は月ごとに存を告げ、九十は日ごとに秩有り。五十は力政に従わず、六十は服戎に与(あずか)らず、七十は賓客の事に与らず、八十は斉喪(さいそう)の事及ばず。五十にして爵し、六十は学に親しまず、七十は政を致す。唯衰麻(さいま)を喪と為す。
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礼記・曲礼上人生まれて十年を幼と曰い、学ぶ。二十を弱と曰い、冠す。三十を壮と曰い、室有り。四十を強と曰い、而して仕う。五十を艾(がい)と曰い、官政に服す。六十を耆(き)と曰い、指使す。七十を老と曰い、而して伝う。八十・九十を耄(ぼう)と曰い、七年を悼(とう)と曰う。悼と耄とは、罪有りと雖も、刑を加えず。百年を期と曰い、頤(やしな)わる。
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礼記・内則凡そ老を養うに、有虞氏は燕礼を以てし、夏后氏は饗礼を以てし、殷人は食礼を以てし、周人は修めて兼ねてこれを用う。凡そ五十は郷に養い、六十は国に養い、七十は学に養い、諸侯に達す。八十は君命を拝するに、一たび坐して再び至(いた)す。瞽(こ)も亦たかくの如し。九十の者は人をして受けしむ。五十は粻(ちょう)を異にし、六十は肉を宿し、七十は膳を弐にし、八十は珍を常にし、九十は飲食寝を違(さ)らず、膳飲、游に従うも可なり。六十は歳ごとに制し、七十は時ごとに制し、八十は月ごとに制し、九十は日ごとに修む。唯絞紟衾冒(こうきんきんぼう)は、死して後に制す。五十にして始めて衰え、六十は肉に非ざれば飽かず、七十は帛に非ざれば煖かならず、八十は人に非ざれば煖かならず、九十は人を得と雖も煖かならず。五十は家に杖つき、六十は郷に杖つき、七十は国に杖つき、八十は朝に杖つく。九十の者は、天子問うこと有らんと欲すれば、則ち其の室に就き、珍を以て従う。七十は朝を俟(ま)たず、八十は月ごとに存を告げ、九十は日ごとに秩有り。五十は力政に従わず、六十は服戎に与(あずか)らず、七十は賓客の事に与らず、八十は斉喪の事及ばざるなり。五十にして爵し、六十は親ら学ばず、七十は政を致す。凡そ七十自り以上は、唯衰麻を喪と為す。凡そ三王の老を養うは皆年を引く。八十の者は一子政に従わず、九十の者は其の家政に従わず。瞽も亦たかくの如し。凡そ父母在せば、子老いたりと雖も坐せず。有虞氏は国老を上庠(じょうしょう)に養い、庶老を下庠に養う。夏后氏は国老を東序に養い、庶老を西序に養う。殷人は国老を右学に養い、庶老を左学に養う。周人は国老を東膠(とうこう)に養い、庶老を虞庠に養う。虞庠は国の西郊に在り。有虞氏は皇(こう)して祭り、深衣して老を養う。夏后氏は収して祭り、燕衣して老を養う。殷人は冔(く)して祭り、縞衣して老を養う。周人は冕して祭り、玄衣して老を養う。
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礼記・曲礼下天子の年を問えば、対(こた)えて曰く「これを聞く、始めて衣若干尺を服す」と。国君の年を問えば、長ずれば曰く「能く宗廟・社稷の事に従う」と、幼ければ曰く「未だ宗廟・社稷の事に従うこと能わず」と。大夫の子を問えば、長ずれば曰く「能く御す」と、幼ければ曰く「未だ御すること能わず」と。士の子を問えば、長ずれば曰く「能く謁を典(つかさど)る」と、幼ければ曰く「未だ謁を典ること能わず」と。庶人の子を問えば、長ずれば曰く「能く薪を負う」と、幼ければ曰く「未だ薪を負うこと能わず」と。
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