二宮翁夜話 / 続篇
翁曰、国に上中下あり、上国の土又上中下あり、下国の土又上中下あり。或は上と云、或は下と云、名は同じといへども、所を異にすれば其実又大に異なる。如何となれば、下国の所謂上田は、上国の下田にだもしかず、況や中下におけるをや。上国の下田は、下国の上田に比すれば勝れる事遠し、況や中上に於けるをや。而て下国の上田の租税は、上国の下田の租税に倍して、粗上田の租に近し。上国の下田の租税は、下国の上田の租税に比すれば、其半にして、下田の租に近し。諸役銭、高掛りも又是に準ず。是上国の民ますます富饒にして、下国の人民離散逃亡を免れざるゆへんなり。野常の土瘠薄にして利少し、其上田は上国の下田の如し、然ば則上国の下田の取箇を以て、下国の上田の取箇となし、中下も亦是に随て、其租数を定むれば、富栄上国に如かずといへども、何ぞ廃亡此の如きに到らんや。上たる者尤も心を用ひずば有る可からざる所なり。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、国に上中下あり、上国(じょうこく)の土(ど)又上中下あり、下国(げこく)の土又上中下あり。或(あるい)は上と云ひ、或は下と云ふ、名は同じといへども、所を異にすれば其実(そのじつ)又大(おおい)に異なる。如何(いか)となれば、下国の所謂(いわゆる)上田(じょうでん)は、上国の下田(げでん)にだもしかず、況(いわ)んや中下(ちゅうげ)におけるをや。上国の下田は、下国の上田に比すれば勝れる事遠し、況んや中上(ちゅうじょう)に於けるをや。而(しかし)て下国の上田の租税は、上国の下田の租税に倍して、粗(ほぼ)上田の租に近し。上国の下田の租税は、下国の上田の租税に比すれば、其半(そのはん)にして、下田の租に近し。諸役銭(しょやくせん)、高掛(たかがか)りも又是に準ず。是(これ)上国の民ますます富饒(ふじょう)にして、下国の人民離散(りさん)逃亡を免(まぬか)れざるゆへんなり。野常(やじょう)の土瘠薄(せきはく)にして利少し、其上田は上国の下田の如し、然(しか)らば則(すなわ)ち上国の下田の取箇(とりか)を以て、下国の上田の取箇となし、中下も亦(また)是に随(したが)ひて、其租数(そすう)を定むれば、富栄(ふえい)上国に如(し)かずといへども、何ぞ廃亡(はいぼう)此の如きに到らんや。上たる者尤(もっと)も心を用ひずば有る可(べ)からざる所なり。
現代語訳
翁が言われた。国に上中下の別があり、上国の土地にもまた上中下があり、下国の土地にもまた上中下がある。あるものは上と言い、あるものは下と言うが、名は同じでも場所が違えばその実質は大きく異なる。なぜなら、下国のいわゆる上田は、上国の下田にも及ばない。まして中田・下田においてはなおさらだ。上国の下田は、下国の上田に比べればはるかに優れている。まして中田・上田においてはなおさらだ。それなのに下国の上田の租税は、上国の下田の租税の倍もあって、ほぼ上田の租税に近い。上国の下田の租税は、下国の上田の租税に比べればその半分で、下田の租税に近い。諸役銭や高掛りもまたこれに準じる。これが上国の民がますます豊かになり、下国の人民が離散・逃亡を免れないゆえんである。下野・常陸の土地はやせて薄く実りが少なく、その上田は上国の下田ほどのものだ。そうであれば、上国の下田の租税額をもって下国の上田の租税額とし、中田・下田もまたこれに従ってその租税額を定めれば、豊かさは上国に及ばないとしても、どうしてこれほどの廃亡に至ることがあろうか。上に立つ者はもっとも心を配らなければならないところである。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之四或(ある)人来り訪(と)う、翁曰く、某(それがし)の家は無事なりや、曰く、某の父稼穡(かしょく)に勤労する事、村内無比なり、故に作益(さくえき)多く豊(ゆた)かに経営(いとな)み来りしに、其の子悪(あ)しき事はなしといえども、稼穡を勤めず、耕耘(こううん)培養行届かず、只蒔(ま)きては刈取(かりと)るのみ、好き肥(こやし)を用うるは損なりなど云いて、田畑を肥(こや)すの益たるを知らず、故に父死して、僅(わず)かに四五年なるに、上田(じょうでん)も下田(げでん)となり、上畑(じょうばた)も下畑(げばた)となりて、作益なく、今日は経営にも差閊(さしつか)うる様になれりと、翁左右を顧(かえり)みて曰く、卿等(けいら)聞けりや、是農民一家の事なれども、自然の大道理にして、天下国家の興廃存亡も又同じ、肥を以て作物を作ると、財を散じて領民を撫育(ぶいく)し、民政に力を尽(つく)すとの違いのみ、夫(それ)国の廃亡(はいぼう)するは民政の届かざるにあり、民政届かざるの村里は、堤防溝洫(こうきょく)先(ま)ず破損し、道路橋梁(きょうりょう)次に破壊し、野橋作場道(さくばみち)等は通路なきに至るなり、堤防溝洫破損すれば、川付(かわつき)の田畑は先ず荒蕪(こうぶ)す、用悪水路破壊すれば、高田卑田(ひくた)は耕作すべからず、道路悪しければ牛馬通ぜず、肥料行届かず、精農の者といえども、力を尽すに困却(こんきゃく)し、之が為に耕作するといえども作益なし、故に人家手遠(てどお)、不便の地は捨てて耕(たがや)さざるに至る、耕さざるが故に、食物減ず、食物減ずるが故に、人民離散する也、人民離散して、田畑荒るれば租税(そぜい)の減ずるは眼前ならずや、租税減ずれば、諸侯窮(きゅう)するは当然の事なり、前の農家の興廃と少しも違う事なし、卿等心を用いよ、譬(たと)えば上国(じょうごく)の田畑は温泉の如し、下国(げこく)の田畑は、冷水の如し、上国の田地は耕耘行届かざれども、作益ある事温泉の自然に温なるが如し、下国の田畑は冷水を温湯(ぬるゆ)にするが如くなれば、人力を尽せば作益ありといえども、人力を尽さざれば、作益なし、下国辺境人民離散し、田畑荒蕪するは是が為なり。
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、山の裾(すそ)、また池のほとりなどの窪(くぼ)き田畑などには大古(たいこ)の池沼(ちしょう)などの、自(おのづか)ら埋(うま)りて田畑となりたる処ある物なり、此処(ここ)は、凡(すべ)て肥良(ひりょう)の土の多くある物なれば、尋(たず)ねて掘出して、麁田麁畑(そでんそばた)に入るゝ時は大なる益あり、是を尋ねて掘り出すは天に対し国に対しての勤(つとめ)なり、励(はげ)みて勤むべし。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、国家の盛衰(せいすい)存亡(そんぼう)は、各々(おのおの)利を争(あらそ)ふの甚(はなは)だしきにあり。富者は足る事をしらず、世を救(すく)ふ心なく、有るが上にも願ひ求めて、己(おの)が勝手(かって)のみを工夫し、天恩(てんおん)も知らず国恩(こくおん)も思はず。貧者は又何をかして、己を利せんと思へ共、工夫あらざれば、村費(そんぴ)の納むべきを滞(とどこお)り、作徳(さくとく)の出すべきを出さず、借(か)りたる者を返(かえ)さず。貧富共に義(ぎ)を忘れ、願ひても祈りても出来難(がた)き工夫のみをして、利を争ひ、其の見込の外(はず)れたる時は身代限(しんだいかぎ)りと云ひ、大河のうき瀬(せ)に沈(しず)むなり。此の大河も覚悟して入る時は、溺(おぼ)れ死するまでの事はなき故、又浮(うか)み出る事も向ふの岸(きし)へ泳(およ)ぎ付く事も、あるなれども、覚悟なくして、此の川に陥(おちい)る者は、再び浮み出る事出来ず、身を終(お)はるなり。愍(あわ)れむ可し。我が教は世上(せじょう)かかる悪弊(あくへい)を除(のぞ)きて、安楽の地を得せしむるを勤(つとめ)とす。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、財を惜(おし)む者は、如何程(いかほど)愍然(びんぜん)の者を見るも扱(あつか)ふ事能(あた)はず。命を惜む者は、君の不能を見て強諫(きょうかん)すること能はず、又馬前(ばぜん)に死する事も能はず。此(か)くの如き者は農事も十分にする事は出来ざるべし。夫(そ)れ農は天変凶歳(きょうさい)風雨を恐れては、十分に肥(こやし)を用ひ、力を尽す事は出来ぬなり。損害は天に任せて、天下の農人(のうにん)は農をするなり。然(しか)るを況(いわ)んや仕官して君に仕ふる者をや、況(ま)して累代(るいだい)仕官の者をや。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、某村(ぼうそん)某(それがし)は強欲にして積財を勤め、隣に艱難(かんなん)あるも救はず、貧窮に陥(おちい)るあるも憐(あわ)れまず、金を貸すこと酷(こく)にして高利を貪(むさぼ)り、恨(うらみ)を村里に結んで意とせず、其行ひ甚だ悪(にく)むべきが如し。然(しか)といへども其力を農事に尽す処を見る時は、近郷比類なし。耕種培養(こうしゅばいよう)、能く時に先後せず、春は原野に草を刈り、秋は山林に落葉を掻(か)き、夏は炎暑を厭(いと)はず、冬雪霜を侵し、晨(あした)に起き夜半に寝(い)ねて、力を農事に尽せり。其勤農実に至れりと云ふべし、聖賢をして農業を勤めしむるも、之に過ぐべからず。其作物の為に尽せば、秋に至つて己に利ある事を了知すること、釈氏(しゃくし)といへども又之に過ぐべからず。若し此理を人倫の間に用ひ、自(みずか)ら能く勤むる所の農術を人に教へ、郷里の為に懇誠(こんせい)を尽さば、聖賢に彷彿(ほうふつ)たらん者なり。惜しひかな此地の賢人と呼ばれんものを、惜しひかな予之を諭しゝも悟る事能はず、惜しひかな。
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二宮翁夜話・巻之四翁又曰く、凡(およ)そ田畑の荒(あ)るる其の罪を惰農(だのう)に帰(き)し、人口の減ずるは、産子(うぶこ)を育てざるの悪弊に帰するは、普通の論なれども、如何(いか)に愚民なればとて、殊更(ことさら)田畑を荒して、自(みずか)ら困窮を招(まね)く者あらんや、人禽獣(きんじゅう)にあらず、豈(あに)親子の情なからんや、然(しか)るに産子を育てざるは、食乏(とぼ)しくして、生育の遂(と)げ難(がた)きを以てなり、能(よ)く其の情実を察すれば、憫然(びんぜん)是(これ)より甚(はなは)だしきはあらず、其の元は、賦税(ふぜい)重きに堪(た)えざるが故に、田畑を捨(す)てて作らざると、民政届(とど)かずして堤防溝洫(こうきょく)道橋破壊して、耕作出来難きと、博奕(ばくえき)盛んに行われ風俗頽廃(たいはい)し、人心失せ果てて、耕作せざるとの三なり、夫(それ)耕作せざるが故に、食物減ず、食物減ずるが故に、人口減ずるなり、食あれば民集(あつま)り、食無ければ民散(さん)ず、古語に、重んずる処は民食葬祭(そうさい)とあり、尤(もっと)も重んずべきは民の米櫃(こめびつ)なり、譬(たと)えば此の坐に蠅(はえ)を集めんとするに、何程(なにほど)捕(とら)え来りて放(はな)つとも追い集むるとも、決して集るべからず、然るに食物を置く時は、心を用いずして忽(たちま)ちに集るなり、之を追払(おいはら)うとも決して逃げ去らざる事眼前なり、されば聖語に、食を足すとあり、重んずべきは人民の米櫃なり、汝等(なんじら)又己(おのれ)が米櫃の大切なる事を忘るる事勿(なか)れ。