二宮翁夜話 / 巻之四
翁又曰、凡田畑の荒るゝ其罪を惰農に帰し、人口の減ずるは、産子を育てざるの悪弊に帰するは、普通の論なれ共、如何に愚民なればとて、殊更田畑を荒して、自困窮を招く者あらんや、人禽獣にあらず、豈親子の情なからんや、然るに産子を育てざるは、食乏しくして、生育の遂難きを以てなり、能其情実を察すれば、憫然是より甚きはあらず、其元は、賦税重きに堪ざるが故に、田畑を捨て作らざると、民政届かずして堤防溝洫道橋破壊して、耕作出来難きと、博奕盛んに行れ風俗頽廃し、人心失せ果て、耕作せざるとの三なり、夫耕作せざるが故に、食物減ず、食物減ずるが故に、人口減ずるなり、食あれば民集り、食無ければ民散ず、古語に、重んずる処は民食葬祭とあり、尤重んずべきは民の米櫃なり、譬ば此坐に蠅を集んとするに、何程捕へ来りて放つ共追集るとも、決して集るべからず、然るに食物を置時は、心を用ひずして忽に集るなり、之を追払ふ共決して逃げ去らざる事眼前なり、されば聖語に、食を足すとあり、重んづべきは人民の米櫃なり、汝等又己が米櫃の大切なる事を忘るゝ事勿れ。
書き下し
翁又曰く、凡(およ)そ田畑の荒(あ)るる其の罪を惰農(だのう)に帰(き)し、人口の減ずるは、産子(うぶこ)を育てざるの悪弊に帰するは、普通の論なれども、如何(いか)に愚民なればとて、殊更(ことさら)田畑を荒して、自(みずか)ら困窮を招(まね)く者あらんや、人禽獣(きんじゅう)にあらず、豈(あに)親子の情なからんや、然(しか)るに産子を育てざるは、食乏(とぼ)しくして、生育の遂(と)げ難(がた)きを以てなり、能(よ)く其の情実を察すれば、憫然(びんぜん)是(これ)より甚(はなは)だしきはあらず、其の元は、賦税(ふぜい)重きに堪(た)えざるが故に、田畑を捨(す)てて作らざると、民政届(とど)かずして堤防溝洫(こうきょく)道橋破壊して、耕作出来難きと、博奕(ばくえき)盛んに行われ風俗頽廃(たいはい)し、人心失せ果てて、耕作せざるとの三なり、夫(それ)耕作せざるが故に、食物減ず、食物減ずるが故に、人口減ずるなり、食あれば民集(あつま)り、食無ければ民散(さん)ず、古語に、重んずる処は民食葬祭(そうさい)とあり、尤(もっと)も重んずべきは民の米櫃(こめびつ)なり、譬(たと)えば此の坐に蠅(はえ)を集めんとするに、何程(なにほど)捕(とら)え来りて放(はな)つとも追い集むるとも、決して集るべからず、然るに食物を置く時は、心を用いずして忽(たちま)ちに集るなり、之を追払(おいはら)うとも決して逃げ去らざる事眼前なり、されば聖語に、食を足すとあり、重んずべきは人民の米櫃なり、汝等(なんじら)又己(おのれ)が米櫃の大切なる事を忘るる事勿(なか)れ。
現代語訳
翁がまた言われた。およそ田畑が荒れる罪を怠け者の農民のせいにし、人口が減るのを子を育てない悪習のせいにするのが世間一般の議論だが、いくら愚かな民でも、わざわざ田畑を荒らして自ら困窮を招く者があろうか。人は禽獣ではない。どうして親子の情がないことがあろう。それなのに生まれた子を育てないのは、食べ物が乏しくて育て上げられないからだ。その事情をよく察すれば、これほど哀れなことはない。もとをたどれば、重い税に堪えられず田畑を捨てて作らなくなること、政治が行き届かず堤防や用水路や道や橋が壊れて耕作できなくなること、博打が盛んに行われて風俗が乱れ人心が荒み果てて耕作しなくなること、この三つである。そもそも耕作しないから食物が減り、食物が減るから人口が減るのだ。食物があれば民は集まり、食物がなければ民は散ってゆく。古語に「重んじるべきは民の食と葬祭である」とある。最も重んじるべきは民の米櫃なのだ。たとえばこの座敷に蠅を集めようとして、いくら捕まえてきて放しても追い集めても、決して集まらない。ところが食物を置けば、手をかけずともたちまち集まる。それを追い払っても決して逃げ去らないことは、目の前の事実だ。だから聖人の言葉に「食を足す」とある。重んじるべきは人民の米櫃である。お前たちもまた、自分の米櫃が大切であることを忘れてはならない。