二宮翁夜話 / 巻之五
翁曰、山の裾、また池のほとりなどの窪き田畑などには大古の池沼などの、自ら埋りて田畑となりたる処ある物なり、此処は、凡て肥良の土の多くある物なれば、尋て掘出して、麁田麁畑に入るゝ時は大なる益あり、是を尋て掘り出すは天に対し国に対しての勤なり、励て勤むべし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、山の裾(すそ)、また池のほとりなどの窪(くぼ)き田畑などには大古(たいこ)の池沼(ちしょう)などの、自(おのづか)ら埋(うま)りて田畑となりたる処ある物なり、此処(ここ)は、凡(すべ)て肥良(ひりょう)の土の多くある物なれば、尋(たず)ねて掘出して、麁田麁畑(そでんそばた)に入るゝ時は大なる益あり、是を尋ねて掘り出すは天に対し国に対しての勤(つとめ)なり、励(はげ)みて勤むべし。
現代語訳
翁が言われた。山の裾や池のほとりなどの窪んだ田畑には、大昔の池や沼が自然に埋まって田畑になった場所があるものだ。そういう所はおおむね肥えたよい土が多くあるものだから、探して掘り出し、痩せた田畑に入れると大きな利益がある。これを探して掘り出すのは、天に対し国に対しての務めである。励んで努めるがよい。
解説
痩せた土地を肥やす具体的な工夫を説きつつ、その営みを天と国への務めと位置づける一条です。山裾や池のほとりに眠る、大昔の池沼が埋まってできた肥えた土を掘り出し、痩せた田畑に入れよ――これは足元にある資源を見出して活かす実学の知恵です。そしてこの地道な土づくりを、単なる利得ではなく「天に対し国に対しての勤め」と説くところに尊徳の思想の深さがあります。日々の勤労が自分だけでなく天地や社会への報恩となるという「勤労」と「報徳」の一体観が、わずかな土の話にまで貫かれています。身近な資源に目を向け、地道な改善を積み重ねる姿勢は、現代の持続可能な暮らしや仕事にも通じる普遍の教えです。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳勤労土づくり積小為大天への報恩
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